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鎌倉散策とハムスターの死について!

2019年07月14日 | ここで一服・水元正介
6月26日、ランチの行列は、家族に任せしばらく散策し、裏通りで鳩サブレの「豊島屋菓寮」の前で立ち止まりました。

そぼろランチ1000円が美味しそうでした。次回はこの「八十小路(はとこうじ)」に立ち寄ってみようと思います。

大通りに出て、喫煙所の場所を店舗スタッフにお聞きし、ファミマ鎌倉二の鳥居店のスタンド灰皿で一服させていただきました。

家族の帰宅を待っていたかのように、一時回復したかと見えたハムスターが息耐えました。1年と9か月の愛おしい命の終焉でした。(画像は2017年9月23日)【合掌】
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茂木信太郎著「食の社会史」その11

2019年07月14日 | ここで一服・水元正介
日本で魚肉ソーセージが本格的に開発・販売されたのは、第五福竜丸が1954年3月1日、ビキニ環礁でアメリカ軍の水素爆弾実験により、発生した多量の放射性降下物を浴びた遠洋マグロ漁業に端を発しています。(無線長だった久保山愛吉が約半年後の9月23日に死亡ています)
第五福竜丸の被曝によって、近海でマグロを獲ったのに、まったく売れなくなりました。当時はたくさん獲れたので、その処理に頭を悩ませた挙句、たどり着いたのが魚肉ソーセージでした。
そうなんです、現在の魚肉ソーセージの材料とは異なり、当時の魚肉ソーセージの材料はマグロだったんだね。というわけで、魚肉ソーセージから話は飛びますが、今回は「缶詰」の由来を本書から抜き書きさせていただきます。

173ページ   近代以降に開発された保存法として、缶詰・瓶詰め、冷凍がある。また、古来よりの乾燥法も素材の乾燥から進んでパウダーにするなどの新展開が図られた。
これら近代以降の食品保存技術の進展には、近代軍隊の兵食という切実な治療があった。実際問題、缶詰・瓶詰の技術は、かのナポレオン・ボナパルトがロシア遠征に先立って、兵食のために新しい食品貯蔵法を懸賞金付きで募集することがきっかけとなって、世に出たものである。(つづく)
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