前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

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高浜原発3,4号機で危険なプルサーマル発電。太宰治もささえた赤旗

2016年02月02日 | 福井県政
 昨日は、街頭宣伝で高浜原発のプルサーマル発電の危険を訴えました。

 高浜原発が3号機に続き、4号機でもより危険なプルサーマル発電をおこなう問題。
高浜町の渡辺町議から議会での説明資料をいただきました。
ようは、ウラン燃料と変わらない安全性、と言いたいのでしょう。
しかし、福島原発事故の現実は、プルサーマル原発の放射線量が高いのです。
事故なくても、使用済み燃料の行く先がないのです。ダーティプルトニウムで労働者被曝も増大するのです。
やめていただきたい‼️









 昨日はしんぶん赤旗の創刊記念日でした。
当時、太宰治も侵略戦争反対をアピールする赤旗の印刷をささえていたという。
 いま、安倍独裁政治がふたたび戦争法を制定し、海外での戦争参加に道を開こうとしています。
 戦争法廃止! 創刊当時の歴史をひきつぐ赤旗をみなさんも支えませんか。
 
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■赤旗  潮流

 お笑い芸人で芥川賞作家の又吉直樹さんは大の太宰治好き。そのせいか、昨年は若者の間で太宰の小説がよく読まれたそうです。彼が理想とした愛や友情、正義のあり方を今の若い心はどうとらえるのか▼青森の大地主の家に生まれた太宰が屈折した思いを抱えながら上京したのは、21歳になる1930年。東京帝国大学文学部に入り、創作活動をつづけながら、波乱の人生を歩んでいくことになります▼太宰上京の翌年、日本は中国への侵略戦争を開始します。当時は「戦争反対」や「民主主義」を口にしただけで弾圧された時代。非合法下で活動していた日本共産党が「赤旗」を通して国民の前に姿を現したのはこの頃でした▼発行し、配るのも命懸け。印刷所も転々と。苦心の末に訪ねた先には太宰の下宿もありました。その時期、彼も党の運動を支えた一人でした。郷里の後輩を頼った工藤永蔵さんは生前、本紙に語っています。「赤旗」は待たれ、発行するたびに読者を鼓舞し、激励した。「だからどんなに苦しくともがんばれた」▼いま、ふたたび戦争への足音が高まるなかで「赤旗」への期待は大きい。戦争法案をめぐる昨年のたたかいをみても、「今言わなければ」をはじめ百数十人におよぶ各界各層の人びとが紙面で発言。全国でわきあがったデモや集会も連日報じました▼戦争法を廃止し、日本に立憲主義、民主主義を取り戻すたたかいはつづきます。きょう88年の米寿を迎えた「赤旗」の役割もさらに。国民共同の新聞として。