孫娘の一人が通う小学校の運動会の応援で安芸郡府中町を訪ねました。曇り勝ちで暑くもなく寒くもない絶好の運動会応援日和でした。競技の幕間を利用して小学校近くにある多家(たけ)神社に参拝に立ち寄りました。門前の道路はよく通りますが、神社に立ち寄るのは初めてのことでした。境内で神武天皇の大古の昔に想いを馳せ、今も残る広島城の遺構に運命の不思議さを想いました。〔5月26日(土)〕
↓ 正面に千鳥破風を持つ入母屋造りの多家神社の拝殿です。多家神社の別名は埃宮(えのみや)。祭神の神武天皇が東征の際に立ち寄った地と言われる由緒ある神社です。
↓ 多家神社の近くにある小学校です。春の運動会が開催され応援に駆け付けました。
↓ 一の鳥居を潜ると長く急な階段が続いていました。神武天皇の東征の頃にはこの辺りは海岸であったようです。
↓ 石段を上ると二の鳥居、そして本殿へと入って行きます。神社が建つこの岡は誰曽廻森(たれそのもり)と呼ばれています。
↓ 手水舎(左)で身を清めてから、拝殿(右)に参拝しました。いずれの建物も銅板葺きの立派なものです。
↓ 拝殿の後方に鎮座する多家神社の本殿です。三間社流造という様式とのことです。
↓ 宝蔵です。広島城三の丸の旧稲荷社から移築された建物とのことです。ここにあったが故に残った、現存する唯一の広島城の遺構です。広島県指定の重要文化財。神輿が格納されているとのことです。
↓ 宝蔵の校木組手。一般的な校倉造りは校木に三角形に近い五角形の材が使われますが、ここは四角形に近い六角形の材が用いられています。現存する校倉では他に例がないと言われています。
↓ 校木組手の模式図。
↓ 境内の奥まった所に建つ神輿蔵です。
↓ 神輿蔵と並んで建つ神楽殿です。
↓ もみじの新緑に包まれた裏参道です。