もの心つくかつかない頃 なんの躊躇もなく太陽を見ていた。
幼児の眼は遠視状態であるから実害がなかったのか定かではないが 今の大人の眼
では到底耐えられない太陽直視を呑気に楽しんでいた訳である。
もしかしたら肉眼ではなく第三の眼で観ていたのかもしれない。今となっては当時
の残像で推し量るしかないが 太陽の中は得も言われぬ色彩の光が巴状に渦巻いて
いた。その後の太陽観察でも太陽が灼熱の球体だとは思えず次元の窓ではないかと
の想いを保持していたものだ。
今でもふと思う。現在の表層脳で信じている宇宙図はもしかしたら全くの見当違い
なのかもしれないと。人類が『人』として自然量子ネットワークに繋ぎ大自然の根
幹領域とアクセス出来るようになった時 『人』は新たに霊質情報から齎される神
側からの宇宙観~大自然観をそれぞれの神魂に起動できるかもしれない。