「なんちゃって神示」
なんて惚(とぼ)けたことを
抜かすな
などと
風当たりもあるでしょう
でも
よくよく洞察を極めれば
地球人が何百年と
真面目腐って取り組んで来たことの多くは
本質領域に気付けば
表層の言葉は如何にでもなる「もの」だと
リアルに割り切れるし
反面 一層その本質波長が大切になるものなのです
この「言葉」一つひとつの
メビウス短絡が
見破れ(観透せ)なかったために
多くの「教条」や「まやかし」に
魂の在り処を奪われて
カラクリ茶坊主のように
同じ動作所作を
有意の心不在のままで繰り返し
それが正しいことと妄信し続けて来たのです