院長の講演会にも時々登場する院長の幼稚園の受け持ちだった先生がご逝去なさいました。
近くでお住まいですが、新聞を取っていないので、今日別の患者さまからお伺いするまで存じ上げませんでした。
享年91歳。自前の歯は19本ありました。
先生は、退職後も地域の福祉などの活動を積極的になさり、地域には無くてなならない存在でした。
私は初めてお会いしたのは、もう16年も前のこと。75歳になられていましたが、亡くなった主人の母の様子をよく見に来てくださり、とても優しい先生でした。
すごいのは、教え子の誕生日を全部憶えていらっしゃったこと。
哲っちゃんは2月28日やったねって、ウイスキーのボトルを持ってきてくださったこともあります。
先生がよくおっしゃられたのは、院長が母から歯科医院を継いで、今の原点ともなる新しい方針となり多くの患者さまが離れていかれたのですが、「知っとるんな?あの時歯医者に来んようになった患者さんのその後。み~んなアウトなんや。続けて来とる人は、みんな元気にしとるわ。歯がどれだけ大事かようわかるのぅ」ということでした。そして、いつも院長を応援してくださった心強いおひとりでした。
自費診療になったとき、ご家族に遠慮されて一度当院を離れた時期がありました。
その時に、歯を何本か失い、あわてて「やっぱりここでないといかん」おっしゃってくださり、通院が再開いたしました。
今日、ご家族にお電話をいたしましたら、お悔やみは受け付けないとのこと。
困ったね。お花を持って行こうかなどと思案しておりました。
そこで、先生への感謝を込めて、表彰状をつくることにいたしました。
文章など院長とスタッフが考えたそうです。
8020、80歳で20本は十分果たされ、80歳で21本の歯をお持ちでした。
91歳で19本。ご立派です。
出来上がった表彰状をケースに入れて、お参りに行かせていただきました。
会葬の御礼の言葉がとても素敵でしたので、ご紹介いたします。
心からありがとう
「お世話になった皆様へ
心より感謝申し上げます」
十歳で母親が他界。二十歳で父親を亡くした母。
その胸中には、深い悲しみがあったことでしょう。
けれども気丈に、母は歩みを進めました。
保母として長年勤め、責任ある立場も任されて
日々いそしんでいた姿が、まぶたによみがええります。
地域への尽力も惜しまず、退職後は地区の
婦人会長を二十年間務めさせていただき、皆様と共に
頑張っていたものです。
孫やひ孫たちには優しいおばあちゃん。「大ママ」と
よばれるたびに、目尻は下がりっぱなしでした。
皆の成長を温かく見守るまなざしが忘れられません。
周りの方々から「先生」と慕われ、ついこの間まで
介護施設の慰問にも出かけていた母は私達の誇りです。
別れの寂しさは募りますが、
母の生き様に恥じぬよう皆で手を携え、少しずつ前を向いていく所存です。
母は、平成二十七年五月二十三日、満九十一歳にて生涯をとじました。
お世話になった皆様へ、亡き母に代わり、深く感謝申し上げます。
ご家族の誇りだけではありません。
私たち松見歯科診療所スタッフ一同、患者さまとしてもとても誇りに思っております。
どうぞ、安らかにお眠りください。
ありがとうございました。


お顔とお名前は伏せさせていただきました。
近くでお住まいですが、新聞を取っていないので、今日別の患者さまからお伺いするまで存じ上げませんでした。
享年91歳。自前の歯は19本ありました。
先生は、退職後も地域の福祉などの活動を積極的になさり、地域には無くてなならない存在でした。
私は初めてお会いしたのは、もう16年も前のこと。75歳になられていましたが、亡くなった主人の母の様子をよく見に来てくださり、とても優しい先生でした。
すごいのは、教え子の誕生日を全部憶えていらっしゃったこと。
哲っちゃんは2月28日やったねって、ウイスキーのボトルを持ってきてくださったこともあります。
先生がよくおっしゃられたのは、院長が母から歯科医院を継いで、今の原点ともなる新しい方針となり多くの患者さまが離れていかれたのですが、「知っとるんな?あの時歯医者に来んようになった患者さんのその後。み~んなアウトなんや。続けて来とる人は、みんな元気にしとるわ。歯がどれだけ大事かようわかるのぅ」ということでした。そして、いつも院長を応援してくださった心強いおひとりでした。
自費診療になったとき、ご家族に遠慮されて一度当院を離れた時期がありました。
その時に、歯を何本か失い、あわてて「やっぱりここでないといかん」おっしゃってくださり、通院が再開いたしました。
今日、ご家族にお電話をいたしましたら、お悔やみは受け付けないとのこと。
困ったね。お花を持って行こうかなどと思案しておりました。
そこで、先生への感謝を込めて、表彰状をつくることにいたしました。
文章など院長とスタッフが考えたそうです。
8020、80歳で20本は十分果たされ、80歳で21本の歯をお持ちでした。
91歳で19本。ご立派です。
出来上がった表彰状をケースに入れて、お参りに行かせていただきました。
会葬の御礼の言葉がとても素敵でしたので、ご紹介いたします。
心からありがとう
「お世話になった皆様へ
心より感謝申し上げます」
十歳で母親が他界。二十歳で父親を亡くした母。
その胸中には、深い悲しみがあったことでしょう。
けれども気丈に、母は歩みを進めました。
保母として長年勤め、責任ある立場も任されて
日々いそしんでいた姿が、まぶたによみがええります。
地域への尽力も惜しまず、退職後は地区の
婦人会長を二十年間務めさせていただき、皆様と共に
頑張っていたものです。
孫やひ孫たちには優しいおばあちゃん。「大ママ」と
よばれるたびに、目尻は下がりっぱなしでした。
皆の成長を温かく見守るまなざしが忘れられません。
周りの方々から「先生」と慕われ、ついこの間まで
介護施設の慰問にも出かけていた母は私達の誇りです。
別れの寂しさは募りますが、
母の生き様に恥じぬよう皆で手を携え、少しずつ前を向いていく所存です。
母は、平成二十七年五月二十三日、満九十一歳にて生涯をとじました。
お世話になった皆様へ、亡き母に代わり、深く感謝申し上げます。
ご家族の誇りだけではありません。
私たち松見歯科診療所スタッフ一同、患者さまとしてもとても誇りに思っております。
どうぞ、安らかにお眠りください。
ありがとうございました。


お顔とお名前は伏せさせていただきました。