放射能のモニタリングポストの測定値について、日々気にかけていらっしゃる方はどのくらいいるのでしょうか?
むずかしいというイメージが先行して、無関心になってしまいそうですね。
玉石混合の情報を取捨選択出来なくて、間違った情報を受け止めていないでしょうか?
私もよく、言葉だけを捉えて情報の信憑性を確かめもしないで、一喜一憂することがあります。
私が小さいころは、原発の心配、放射能の心配なんてなかったし、今の子供たちを取り巻く環境の大変さには、本当に心が痛みます。
いつか、この社会の在りようは少しずつ変わり、今の政治の在り方も、経済の在り方も180度変わる時が必ず来ます。その時がいつになるか、私が生きている間には起きないことかもしれません。地球の温度が上がったり、冷えたりするくらいの長いスパンを覚悟しなくてはいけないのかもしれません。
それは、イノチの在りようのように、生があれば必ず死を迎えることと相似します。そのサイクルが早いか遅いかは、私やあなたの在りようが写しだされます。
我が家は真言の地にありながら、主人の父が関東の人間で、めずらしく法華経なのですが、日蓮の『三世諸仏総勘文教相廃立』の中の第十章に「十界の外に仏無し仏の外に十界無くして依正不二なり身土不二なり一仏の身体なるを以て 寂光土と云う是の故に無相の極理とは云うなり」という一文があり「身土不二(しんどふに)」という言葉が用いられています。
これは、自分と社会のかかわりについて、二つに分けてしまえるものではなく、社会が自分であり、また自分が社会であるということを教えてくれています。
つまり、社会の在りように目を伏せることなく、それは自分の在りようだということをしっかりと認識しなくては、この世の在り方は変わらないということなのではないでしょうか?
マクロビオティックでは「身土不二(しんどふじ)」として、身体と環境を分けて考えてはいけない、つまり、その土地で採れるものを頂くことに基本があることを教えています。
いずれにしても、私が生きているこの世界(環境、社会、他者)は、私そのものなのだという同一性(一元論)を認識しない限り、今の現状は変わらないということになります。
私の正直な感想として、香川の方の原発に関しての温度はかなり低いと思います。それだけ恵まれた土地だということもあるのでしょうね。本来はそうでなければいけないことだし、いつも安心して暮らせるという日常に感謝です。でも少し枠を広げると、この日本は大変なことになっています。だから、恵まれた香川の暮らしを大切にし子どもたちにそのまま受け渡していくためには、日本の社会にもっと関心を持つことも大切。そうでなければ、日本の社会は香川の素晴らしい環境に関心などもってくれないという裏返しです。伊方原発が近いこと。再稼働されるかもしれないということ。福島原発の事故以降、東北、関東周辺がどのようになっているのかということを知っておくことは、私たちの行いにつながると思います。
先日、九州に出張の折、阿蘇のTAO塾を主宰なさっておられる波多野毅さんにお誘いをいただいて、TAO塾でお話をさせていただきました。その時の波多野さんのお話のテーマが「身土不二(しんどふじ)と身土不二(しんどふに)でした。
とても素晴らしいお話で聞き入ってしまいました。
「身土不二」に触発されて、社会とのかかわりを少し書かせていただきました。
長い文章を、お読みいただいてありがとうございます。
むずかしいというイメージが先行して、無関心になってしまいそうですね。
玉石混合の情報を取捨選択出来なくて、間違った情報を受け止めていないでしょうか?
私もよく、言葉だけを捉えて情報の信憑性を確かめもしないで、一喜一憂することがあります。
私が小さいころは、原発の心配、放射能の心配なんてなかったし、今の子供たちを取り巻く環境の大変さには、本当に心が痛みます。
いつか、この社会の在りようは少しずつ変わり、今の政治の在り方も、経済の在り方も180度変わる時が必ず来ます。その時がいつになるか、私が生きている間には起きないことかもしれません。地球の温度が上がったり、冷えたりするくらいの長いスパンを覚悟しなくてはいけないのかもしれません。
それは、イノチの在りようのように、生があれば必ず死を迎えることと相似します。そのサイクルが早いか遅いかは、私やあなたの在りようが写しだされます。
我が家は真言の地にありながら、主人の父が関東の人間で、めずらしく法華経なのですが、日蓮の『三世諸仏総勘文教相廃立』の中の第十章に「十界の外に仏無し仏の外に十界無くして依正不二なり身土不二なり一仏の身体なるを以て 寂光土と云う是の故に無相の極理とは云うなり」という一文があり「身土不二(しんどふに)」という言葉が用いられています。
これは、自分と社会のかかわりについて、二つに分けてしまえるものではなく、社会が自分であり、また自分が社会であるということを教えてくれています。
つまり、社会の在りように目を伏せることなく、それは自分の在りようだということをしっかりと認識しなくては、この世の在り方は変わらないということなのではないでしょうか?
マクロビオティックでは「身土不二(しんどふじ)」として、身体と環境を分けて考えてはいけない、つまり、その土地で採れるものを頂くことに基本があることを教えています。
いずれにしても、私が生きているこの世界(環境、社会、他者)は、私そのものなのだという同一性(一元論)を認識しない限り、今の現状は変わらないということになります。
私の正直な感想として、香川の方の原発に関しての温度はかなり低いと思います。それだけ恵まれた土地だということもあるのでしょうね。本来はそうでなければいけないことだし、いつも安心して暮らせるという日常に感謝です。でも少し枠を広げると、この日本は大変なことになっています。だから、恵まれた香川の暮らしを大切にし子どもたちにそのまま受け渡していくためには、日本の社会にもっと関心を持つことも大切。そうでなければ、日本の社会は香川の素晴らしい環境に関心などもってくれないという裏返しです。伊方原発が近いこと。再稼働されるかもしれないということ。福島原発の事故以降、東北、関東周辺がどのようになっているのかということを知っておくことは、私たちの行いにつながると思います。
先日、九州に出張の折、阿蘇のTAO塾を主宰なさっておられる波多野毅さんにお誘いをいただいて、TAO塾でお話をさせていただきました。その時の波多野さんのお話のテーマが「身土不二(しんどふじ)と身土不二(しんどふに)でした。
とても素晴らしいお話で聞き入ってしまいました。
「身土不二」に触発されて、社会とのかかわりを少し書かせていただきました。
長い文章を、お読みいただいてありがとうございます。