冒頭からなんですが、喪中ハガキが10日頃から届くようになりました。
親戚や知り合いも居ればお目にかかったことすらない方もいらっしゃる。
正月の挨拶ができない無礼を事前に詫びる書状である。
昨日の朝、俳優の高倉健さんの訃報が駆け抜けましたね。
その話題、記すかどうか考えて昨日はやめておきました。
自分が青春を過ごした頃、東映は任侠路線を看板にしていてヤクザ映画が主流でした。
平和主義と言うのではありませんが、本当はド・デカイ身体をしながらも弱虫なもので
争い事は好みません。
でも70年安保をめぐる混乱という当時の社会情勢の中でウケていたことは
間違いなかった。
格闘技も嫌いだし戦争なんてもっと嫌。
映画の世界でありながら、それも分かっていながら高倉健サンを含めて
鶴田浩二、梅宮辰夫、松方弘樹などという当時のスター俳優はぶっちゃけ
嫌いでした。
大学を経て社会に出た頃から八甲田山、幸福の黄色いハンカチ、野性の証明
などと賞を取るような作品に触れて行くうちに彼の見方が変わって行きました。
駅 STATION、鉄道員(ぽっぽや)、ホタル、そして彼の最後の作品となったあなたへと
不器用な生き方の男を演じさせたら絶品のおっちゃんでした。
初七日が終わるまで全く公表されなかったというのは彼の最後らしいと誰もが思ったでしょう。
既に両親とも見送っていて、それもその年の夏までのことで百箇日の法要も済んでいて
自営の仕事をしていたら翌年の年始の挨拶ぐらい気持ちよくやってもいいんじゃない?と
今風の子なんでしょうか? 思ってしまったことを思い出します。
まあ1年くらいは自分の身内のことで喪に服すというのもルーツを大切にする意味で
良いことなのかも知れないとも思います。
生まれて来たからにはいずれ亡くなるこの命、忘れられたくない思いと姿形が焼滅したら
もうサッサと忘れてしまって欲しい気持ちとが半々です。
俳優とかタレントとか言う人は本人の意思とは関係なくフィルムやビデオと言う形ですが
形も生命も無くなってしまってからも残りますね。
昔の武将や宰相、偉人の類は「死してなお名を残す」なぁーんて欲も強かったようです。
功績は立派なことだとは思うけれど名が残っても実態は存在しないのだから、う~~~ん
どうなんでしょうね。
やっぱり さっさと忘れてもらいたいな。 コッチからは何もできないんだもん。