此処までの二日間の記事としていた廃校小学校跡のワールド・メープル・パーク「奈良カエデの郷ひらら」
は奈良県宇陀市菟田野古市場という地名に在ります。
この学校で付近の地図を眺めていたら、どうもボランティアガイドさんのようなおじいさんが声をかけて
来てくださっていろいろとお話をしてくださいました。
その中の一つに『奈良県内の国宝建造物は沢山ある(71棟)けれど、神社は奈良市・春日大社(4棟)と
天理市・石上(いそのかみ)神宮(2棟)とここ、宇陀市にしか無くってね。』と教えてくださった。
『車はここに停めておいて校門からグルッと歩いて行ける』という。
ぷらぷらと歩いて行くと町並みの庭や軒先も美しくてホッとする。
国道166号線に出て左・左と周ると見えて来ました。
宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)と言うそうです。
大和の東西南北に祀られた四水分神社のうち東に当たるのが当社とされる(他の3つは都祁水分神社、
葛城水分神社、吉野水分神社)。
鳥居をくぐってすぐに見つけるのが頼朝杉。
そして拝殿
そしてその国宝の建造物
Wikipediaによると
同形同大の社殿3棟が相接して並列する。向かって右から第一殿、第二殿、第三殿で、それぞれ天水分神、速秋津比古神、国水分神を祀る。建築形式はいずれも一間社、隅木入春日造で、屋根は檜皮葺きとする。第一殿の棟木に元応2年(1320年)の墨書があり、第三殿も同時期の建立とみられる。第二殿は棟木に永禄元年(1558年)の墨書があり、この時に新造に近い改築を経たとみられる。第一・第三殿は、隅木入春日造で建立年代の明らかなものとしては最古のものである。身舎と向拝柱の間には繋虹梁(つなぎこうりょう)を渡さず、手挟(たばさみ、柱上の組物と垂木の間に取り付ける三角形の材)を入れるのみである。繋虹梁を用いないのは、3棟の社殿を側面から見た場合の見通しを考慮したためとみられる。
とありました。
拝殿から第二殿正面までは縄が張ってあって【神様の通り道です。入らないで】とありました。
2003年に僅かに残っていた塗装片を元に社殿の塗り替えが復元されたそうです。
拝殿の後ろ右側へ末社春日神社本殿
その右横に末社宗像神社本殿
本殿横にも夫婦杉という、上に行くと2つに分かれている杉がありました。