こんにちは「中川ひろじ」です。

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20170601 ダメズラ共謀罪!!共同街宣

2017-06-01 11:07:28 | 活動日誌

20170601 ダメズラ共謀罪!!共同街宣〜松本地区護憲連合中川ひろじ代表挨拶

横内裕治松本地区労組会議議長の訴え

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社民党松本総支部第70回定期大会

2017-06-01 08:58:01 | 活動日誌

社会民主党松本総支部は5月31日第70回定期大会を開催した。70回という節目の大会である。70回と言う数字は、もちろん社会党の時代からの通算である。1996年社民党に党名変更したが、松本総支部は当時民主党への合流に反対し社会党松本総支部をしばらくは名乗ったままでいた。10月に護憲派の民主党への合流が否定され小選挙区制最初の衆議院選挙において、長野新2区は北沢清功代議士を社民党の候補者として擁立することを決定したことから党名を社民党と名乗るようにした。北沢清功氏は小選挙区では敗れたが北信越ブロックで比例復活当選をし、1990年2月に当選して以来3期10年にわたって社会党の灯をこの地にともし続けた。2000年6月の衆議院選挙で山口わか子氏にバトンタッチをしたが、残念ながら社民党長野県連合として国政に議席をもっていたのは2003年11月までで、これまでのところ、この山口わか子氏が最後となってしまっている。その後も、もちろん2004年参議院選挙、2005年衆議院選挙を山口わか子氏が戦い、2007年参議院選挙、2009年衆議院選挙を私が戦ったが、議席を得るには至らなかった。

戦後1945年の日本社会党結党以降、この地域における国政選挙の足どりは以下のとおりである。第22回衆議院選挙(昭和21年4月)全県1区で棚橋小虎(松本)、野溝勝(上伊那)、林虎雄(諏訪)が当選、第23回から中選挙区制となり松本市は4区となる。このときは萩元隼人が当選、第24回(昭和24年)棚橋小虎、昭和26年左右社会党に分裂、第25回(昭和27年)吉田正(右)、第26回左派社会党の候補者であった萩元隼人氏が急逝し夫人の萩元たけ子氏が当選し、長野県におけるはじめての女性国会議員となる。第27回(昭和30年)から第36回(昭和55年)まで10期25年にわたって塩尻市出身の下平正一が当選し続けた。

県会議員、市議会議員については別途記述することとするが、70年の歴史をもつ社民党松本総支部だが、代表をつとめてすでに9年たつが、私自身の県議会議員選挙の落選もあり、率直に言ってなかなか党勢の回復に至っていない。社会党が日本における社会主義政党を目指して出発したが、路線論争も尽きなかった。路線論争をしていた頃のほうが元気があったという指摘もある。ただ一貫して社会党をささえる基盤は資本と対峙する総評労働運動であった。現在資本と対峙する労働運動が希薄となり、労働者の中に社会変革の自覚も薄くなっている。だが資本主義社会である限り、利益優先であり、その矛盾は常にこの社会に現れ続ける。この矛盾を原点とする様々な運動に基盤を置く政治勢力はなくなりようがないが、それが社民党であるかどうかは、私たちの努力次第である。

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