戦時中にも関わらず、「戦争は罪悪である。」と唱え続けたひとりの僧侶がいた。彼の名は杉原良善。幾多の弾圧にも屈することもなく、彼は生涯反戦を唱え続けた。そんな良善のおかげで自分の好きな道を歩み続けた一人の落語家がいた。彼らの人生と周辺の人々の人間模様を、美しい小豆島を舞台に描いた作品です。
上映会のお知らせ
8月 5日(土)10時 14時 松本市あがたの森文化会館
8月12日(土)10時 14時 長野市若里市民文化ホール
問い合わせ 長野映研松本 0263-45-0227
戦時中にも関わらず、「戦争は罪悪である。」と唱え続けたひとりの僧侶がいた。彼の名は杉原良善。幾多の弾圧にも屈することもなく、彼は生涯反戦を唱え続けた。そんな良善のおかげで自分の好きな道を歩み続けた一人の落語家がいた。彼らの人生と周辺の人々の人間模様を、美しい小豆島を舞台に描いた作品です。
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8月 5日(土)10時 14時 松本市あがたの森文化会館
8月12日(土)10時 14時 長野市若里市民文化ホール
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毎月9の日に行う「9の日行動」も12年目に入った。戦後60年の節目の年となった2005年にはじめたから、すでに12年目にはいる。改憲勢力の次から次へとくる攻撃に防戦一方である。テロ特措法、イラク特措法、PKO法「改正」、教育基本法「改正」、防衛庁の省格上げ、在日米軍の再編、武器輸出三原則の放棄、国家安全保障会議設置、特定秘密保護法、戦争法、通信傍受法の「改正」、「共謀罪」の新設、憲法「改正」・・・この先に戦争が見えないほうがおかしい。テロ対策は必要だが、テロが起きない社会をつくることが政治だ。朝鮮半島の緊張状態を対話で解決することが政治だ。「圧力」はいずれ軍事力に変わる。韓国とアメリカが対抗してミサイルを撃った。中国はただちに抗議したが日本は何も言わない。
私は侵略する側の人間に絶対なりたくない。1894年朝鮮で起きた農民反乱を制圧する目的で出兵し、日清戦争がはじまり日本軍は農民を抹殺した。1937年7月7日盧溝橋事件から日中戦争がはじまり、残虐の極みをつくした。その血が私には流れている。だから二度と侵略する側の人間になりたくない。絶対なりたくない。
20170709 松本地区護憲連合「9の日」行動〜中川ひろじ代表街宣
7月9日午前中はあがたの森文化会館で女性と政治スクールに参加。学習会は、前回に引き続き「超高齢社会あなたはどう生きる」。どうやったら「自分らしい最後を迎えられるのか」。参加者は、それぞれ親や連れ合いをみとってきた経験を話された。
本人の意思を尊重してと考えていても、私の父の場合は在宅は遠かった。自分でインシュリンを打てなくなり、尿閉となり、在宅で医療を受けながら下の世話をすることは、母一人では難しい状況だった。それでも、家に帰りたかったと思う。それができなかったことが悔やまれる。最後の夜、もう声にならない唇が「ありがとう」と動いた。あとを妹にまかせ、翌日母と二人でジャガイモを植え、それから病院に向かった。向かっている途中で危篤の知らせがきた。着いたときにはすでに意識はなく、心臓の波形はすでに痙攣状態だった。
まだ意識がしっかりしている頃、医者の話をそのたびに父に伝え、父はそのたびに「わかった」と答えた。今から思えば死期が近づいていることが「わかった」のだろう。それでも「背中が痛い」と言って、さすってやれば「気持ちいい」「楽になった」と言う。最後は声にならないので、こちらから「背中が痛い?」と聞いて、うなづくと背中をさすってやって、「気持いい?」と聞くとうなづいていた。
施設に入ってから認知症は進んだ。立って歩けなくなった。普通のご飯が食べればくなった。見舞いに行くたびに衰えていくのが分かった。腎臓も肝臓も血管も心臓もボロボロだった。肺に水がたまり始め救急搬送され、ここ二、三日が山だと言われ交代で付き添った。モルヒネが効いていったんはバランスが保たれた。しかし医療をしなくなれば病院にはいられない。再び施設へ戻らなければならない。あのときに、少しでも家へ帰せていたらと悔やまれる。
もうじき新盆がやってくる。