リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

新春読書

2008年01月04日 16時59分01秒 | 日々のこと
今年の読み始めの本は、大野晋著「日本語の源流を求めて」です。何を隠そう、私は大学生の頃、リュート音楽以外に言語学にもすごく興味がありまして、環境が異なっていれば今頃は言語学者をしていたかもしれません。(笑)

で、その関係の一般書をちょこちょこと読んだりしていましたが、その中に大野晋さんの著書「日本語の起源」がありました。この本は現在では新版が出ていますが、私が読んだのは旧版の方です。

著者の大野晋さんは今年89歳になられる方で、「日本語の起源」を書かれたときすでに結構な年だったと記憶していましたので、本屋で「日本語の源流を求めて」のまえがきを読んだとき驚きました。

---引用
私は今年八十八歳になった。八十八といえば老翁という言葉があてはますだろう。しかしこの老人は、まだ少年であったころの「日本語とは何か」という幼稚な問いを今も心に懸けて生きている・・・
---引用おわり
(「日本語の源流を求めて」は2007年8月上梓です)

うーん、あれからずっと研究を積み重ねられていた訳です。何年か後、新聞だったかなんだったか忘れましたが、氏の研究について否定的な内容の記事を読んだこともあり、もうすでに過去の人だと思っていました。

まだ全部読んでいませんが、はじめの部分に興味深い記述がありました。

---引用
タミルごと日本語との場合でも、私は研究の初歩の段階では「同系語」という術語を使い、「日本語・タミル語の同系」とみずからも言い、世間でも「日本語のタミル語起源説」という言い方をした。しかし実は日本語とタミル語の関係は、シュライヒャーが図に書いたような関係ではない。タミル語が北九州に到来するまで、日本語とタミル語は何の関係もなかった。・・・
---引用終わり

という感じで、優位な文明の言語(タミル語)に当時の縄文人がしゃべっていた言葉がのみこまれ、いわゆるヤマトコトバが成立していった、と氏は説いています。なかなか興味深く、かつ説得力のある論だと思います。私が学生の頃は、氏の研究の初歩の段階で「日本語の起源」を読んだわけです。そのとき読んだ印象ではなんかちょっと無理があるなぁという感じでした。それ以降私は言語学からは離れ、もっぱらリュートオンリーでしたので、氏の日本語の起源に関する説は私の中ではそこで止まっていました。

でもその後30年くらいの間で初期の説からずいぶん研究が進み、説得力のある説になって来たみたいです。この本は決して専門書的な書き方ではないので、どなたでも気楽に読み進めることができると思います。言語に興味のある方にはおすすめ。岩波新書です。