リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ベニヤの翼(3)【現存する秋水の写真付き】

2019年12月24日 13時25分47秒 | 音楽系
ロケットエンジンも4年くらい開発を続けていたといいますから、ある意味日本の当時の航空技術の集大成と言ってもいいかも知れません。もっともドイツでも上手く運用できなかったロケット戦闘機を開発するというその方向が妥当であったとは思えませんが。


アメリカ・カリフォルニア州チノのプレインズ・オブ・フェイム航空博物館所蔵の秋水。オリジナルのまま残っている唯一の機体だそうです。右下方に見えるのは局地戦闘機雷電。

翼の材質を「合板」と書かずわざと?「ベニヤ」と書いてポンコツ感をあおって、その返す刀で戦争反対というのではなくて、当時の技術をもっと正当に評価してほしいです。以前、池ナントカという小説家が、ゼロ戦の座席とか構造材に軽量化のための穴が開けられているという話を受けて、「防弾板もつけず、おまけに穴まで開けるなんて、非人道性もはなはだしい。全くもって負の遺産ですね」とテレビ番組で語っていたのを覚えています。穴が開いていたら銃弾が通過するので危険だという、そんな単純なことだけを、ゼロ戦を設計した堀越二郎技師は考えていたのではなかったと思います。

普通、村正の刀を見て、あんな恐ろしい人斬り包丁を作って、もう戦はこりごりだ、と言って村正を貶めたり非難したりはしませんよね。いちいち「刀の先は人を突き刺したり、刃でもって人を切り殺すなんてことはあってはならないことですが」と前置きもしません。戦争はもうこりごりだというのは当然のことですが、そのこととは別に当時の技術や先人達の努力や、戦後の日本の発展がその小説家のいう「負の遺産」に負っていたところが大きいという事実にはきちんと目を向けるべきでしょう。