リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

ファスト・ミュージック

2022年06月28日 16時06分25秒 | 音楽系
巷ではファスト映画がいろいろ話題になっています。必要なストーリーだけを追った短縮版の映画ですね。2時間かかる映画に、そんな長い時間付き合ってられないということなんでしょう。早送りで見る人もいるようです。

上映に2時間かかる映画は2時間の意味があると思うのですが、映画にはそもそも時間軸と言うのが存在しないのでしょうか。小説でも長い小説を速読で読む場合と、二カ月くらいかけて読む場合がありますが、小説の場合はリアルタイム性というのが映画よりは低いのかも知れません。でも映画だって物語を実時間で追っていくわけではないので、似たようなところはあると思います。

映画と小説がかなり異なる点は、映画は基本ダイアログ(会話)であるのに対して小節はダイアログ(会話)+ナラティブ(語り=地の文)であることですね。小説の早読みに関してはあまり言われることはないのに映画でいろいろ言われるのはこうした違いがあるからなのでしょう。もっとも昨今のファスト映画の場合は製作者や上映者の儲けと直結するだけに問題となっているのでしょう。

では音楽の場合はどうでしょう。マーラーの交響曲第3番が長すぎるというので早送りで聴く人はいないと思います。早送りだと音程が上がるのでそんなものを聴くわけがないと思った方、実はデジタル時代は音程を上げないで速度だけ上げるということを可能にしています。といってもやはりそんなものは誰も聴かないと思います。音楽の場合はテンポ自体に意味があるので、普通1時間30分かかる作品はどんな解釈をしても1時間にはなりません。

私は分厚い写本に書かれている曲のタブを見て頭の中で音楽を再生し曲探しをしますが、この時は少し遅めにしたり適当にはしょったり飛ばしたりと多少連続的な時間性は薄れる感じがしますが、それでも何らかの時間軸を頭の中で設定しているのには変わりはありません。音楽では本質的にファスト・ミュージックはあり得ません。

でも今はデジタル再生の時代、再生表示バーをプチっとクリックすれば簡単に先の部分を聴くことができます。へったくそな演奏で前半の繰り返しがあったら、同じ長さくらい先の所をクリックして後半を聴き、それもしょうもなかったら聴くのを止めるという聴き方も可能でしょう。少なくともレコードとかCDプレーヤーで聴いていた時代ではそういうことはできなかったし、ある程度できたとしても操作がいちいち面倒なのでしなかったはずです。でもタブレットやPCで音楽をストリーミングして聴く場合だと、いくらでも簡単に聴きたいところだけを選んで聴くことができます。現にギターのリフを飛ばして歌のところだけ聴くと言う聴き方もあるらしく、ギタリストや楽器プレーヤー、編曲家は嘆いていることでしょう。音楽でもファスト化がすでに始まっているとも言えます。

でも映画でも音楽でもこの傾向が進む先は・・・