お豆の収穫

2015年10月21日 | 家事のこと
味噌仕入れを初めて3年目、今年の大豆の収穫が始まった。大豆の出来具合が「木づくりの実とらず」状態で心配したが、とりあえず使う分位は採れそうでホッとした。

 休日秋の陽を背中に受けつつ豆をこなす。ゴミと豆の選別に「唐蓑」を使う。

 この「唐蓑」が現役で役立っていることを、昨年父に教わった。実際に使うのを見たのは子供の時以来だったから驚きであった。

 おそらく100年もの歴史を持つのかもしれない。

 昨年父は自分ができなくなることを承知して私に使い方を教えてくれたのだろう。

 ところが1年経って「私覚えているか自信がないわ」と言うと、夫は簡単だよと。

 本当に単純な道具だから確かに操作は簡単だったが、そこに入れるまでにどの程度までにしておかねばならないかの実践に欠けた二人。

 まあ―、一度やってみれば分かるわね。

 下ごしらえをしてようやくできましたよ。先人の知恵に感心しながら。

 黒豆は前日息子がこなしてくれたんだけど、こちらの経験不足ときたら私たち以上で、殻まで叩き潰して殻の中に豆がうずまっている状態である。

 殻の中からお豆をすくいださねば、唐蓑にもかからないのでした。

 そんな苦闘をしていると、平尾山山頂まで消防の訓練でポンプを運んだという息子が帰ってきて、夫と3人もくもくとお豆の取り入れをしたのである。

 長いこと父はこの作業をひとりでこなし、私たちが手伝うようになったのはここ10年ばかりのこと。こうして苗からすべての作業をするのは初めてである。

 いままで当たり前に料理していたが、なんと手がかかったものと感心してしまう。

 農作業を通して食の重みをあらためて考える。自分で生産しなければ食べれない時代ではないけれど、生産する食について忘れていけないことがあると思う。

 自給率40%を切る時代である。

 我が家も田んぼのあらかたを委託に出しているが、今後ずっと委託してもらえるかと心配になる。そのうちお金を払って委託する時代が来ないとも限らない。

 田んぼは一度荒らすと、元通りにするには大変なことである。戦時中を生きた人たちは、どんなことがあっても自分のお米だけは確保せよと言う。

 頭で理解できても、退職後の農作業に身体が付いて行かない。夫は右手が腱鞘炎だし私の膝の痛みもひかない。

 もみじ祭りののぼり旗を立てに行った夫が、退職後農業している同じ年代がみんな足や手が痛いと言っていると夫が言う。

 背負う田畑がなければ、今日はあちらの美術館、明日はこちらの温泉という日々も可能なのだろうが、先祖様からの預かり物を次世代にバトンタッチする責任があるから・・・・・。

 土地は固定資産税という地代を払って借りている物とでも理解して気楽に生きれればであるが、思ってみてもそんなわけにはいかないわね(笑)
 
 11月いっぱいなにやかやと畑仕事は続くのである。

 私は休日のスケット位だけど・・・・・。
                                   依田 美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


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