会津若松・いわき湯本への旅

2015年10月27日 | 
25日・26日会津若松・いわき湯本に研修旅行に行ってきました。

 北は仙台までしかいったことのない私ですが、震災の後どうしても足を運べませんでした。

 大勢の皆さんが被災地を訪問されているのですが、私は震災の日テレビの実況中継された津波の恐ろしさを、思い出すたびに苦しくなってしまったのでした。

 まるで怖い映画そのもののようで、家や車が飲み込まれていくのを見ました。その中に人がいたのですから・・・・。

 4年7ケ月が経ちました。お誘いを断る理由がありません、出発しました。

 できることはお買物でしょうか。

 会津若松の鶴ヶ城の見学です。「八重の桜」も見ていません。

 城内に展示されているパネルを読んで頭の中を整理します。ボランティアガイドの鈴木さんが、丁寧にユーモアを交えて案内してくださいます。

 じっくり読んでいると、ガイドさんについていけません。「・・・・は勝った側から書かれた物」の言葉が聞こえました。そうなのですね、歴史は勝った側から書かれた物が残されているのですね。

 幕末から明治になったばかりの頃のこと、今までなにやかんやの本読んでいましたが、そういう視点で読んだことなかったわと思いました。

 鶴ケ城の屋根瓦が赤いのが印象的でした。会津は教育に熱心な地であったこともよく分かりました。

 入口のお店で「揚げまんじゅう」とありました。これって長野だけかと思っていたので、ちょっとした発見でした。時間が許すなら食べてみたいと思ったのでした。

 ゆっくりお城見学をしていたら時間が押してしまい、飯盛山はパスしてさざえ堂の見学です。この日午後から北日本は寒気が通過するとの予報でしたが、冷たい風が強く吹く日になりました。

 さざえ堂とはさざえのようになっているのです。堂内はまさしく通路だけでできています。らせん階段で上に上りらせん階段でおりてきますが、のぼりと下りが一方通行なのです。1976年に郁堂和尚の考案建立だそうです。

 見学の後一路宿泊地のホテル ハワイアンズへ。私50年前に行ったことがありました。あの頃は嫌になるほどバスに乗ったとおもいましたが、いまは近くなりました。

 その時はみんなムームーを買って着替えたのでしたが、今は浴衣替わりに用意されていました。しかしムームーだけで要られる季節でもないのですが、その上に着用する上着ときたら、まあーみんなで着れば怖くないとえばそうでしょうが、まず着たくありません。

 たぶん今より20歳は年上になれる代物です(笑)

 2000人も収納できるホテルで、宴会場にもお風呂にも行くのが大変です。

 宴会場は我慢しましたが、フラダンスショーの会場で1時間も震えているわけにはいかないと、私服に着替えて会場に入ったら「28度の温度設定にしてあります」と立看でした。ねえーこの情報先に流してくれないかしら。

 フラダンスはもう素晴らしくて夢の世界にいるようです。ファイャーショーも迫力満点で1時間はアッと言う間でした。

 映画になって人気がでたようですし、震災の後は大勢の人が訪れている様子でした。

 このショーにお金がかかるせいなのか、料理は「痩せていました」。ショーの終わった後ラーメンを食べましたよ(笑)

 続きはまた。

                                   依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


【 中島木材のホームページは こちら



 ブログランキングに参加しています。ポチっとお願いします。
ポチットお願い!にほんブログ村 住まいブログへ
にほんブログ村 住まいブログ
ブログランキング・にほんブログ<br>
<br>
 <br>
<br>
 
</div>
</div>
<!-- /entry-body -->

  <!-- entry-bottom -->
  <div class=
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする