本日は我が家の息子の3男坊の小学校の入学式です。夫はちーちゃんの小学校の入学式に来賓で出席。私は母校の高校の入学式です。
お祝いをいただいたお返しの赤飯を2どう蒸かしました。それでもお赤飯だしと色を付けましたら、すっかり色の濃い桜色になってしまいました。
6年生になったちーちゃんはお弁当を持っての通学です。今日から通学班の班長も務めます。責任の重さを感じて少し緊張気味で出かけていきました。
お弁当のリクエストはエビマヨでした。この間のがとってもおいしかったようです。鳥のから揚げに焼売、パブリカの肉詰めにレタスにトマト。デザートはみかんに大きなおにぎり2個・・・・たぶん食べきれないわね。
1ケ月前の卒業式は女生徒の華やかな衣装ながらも、別れという寂しさな雰囲気もあったけれど、入学式はまだ少し幼さもあるけれど、夢と希望とひたむきさが感じられたのでした。
これから3年間で心身共に成長していくのですね。
3年間をどう過ごしていくのか・・・・これが一番重要なのだと思います。
校長先生の式辞・・・・・毎年生徒よりもしっかり聞く努力をしていますが、メモが追いつかないので・・・・校長先生に原稿のコピーをいただいてきました(笑)
式の終わった後の控室で、校長先生に「生徒や保護者に配布されたらどうですか」と式辞の内容が来賓の中で話題になりました。とってもいい式辞でした。
以下要約引用させていただきます。
数学者の藤原正彦さんの書いた「国家の品格」から、人間が生きていく中で、大切な行動規範や倫理は理屈で教えることはできない。育っていく過程で、自ずと身につくものであり、そしてもっとも大切なことは、
○ ウソをつかない
○ 卑怯なことをしない
○ 弱い者いじめをしない この3っだと言っています。
考えてみると、このような行動規範や倫理は、日本の中で、長い時間をかけて蓄積されてきたものであり、世界のどこへ行っても通用します。
(校長先生は続けられます。今日の、国際化・グローバル化・情報化という世相の中で、今大学入試改革・高校入試改革が進められていることを前提としての内容だと思いました)
日本は二百数十年の鎖国をして、異文化との交流をほぼ閉ざしました。1860年に、日米修好通商条約調印のために、日本の使節がアメリカへ行きました。
その時の彼らの正装は狩衣・烏帽子で、床に正座して日本風に挨拶をしました。
そのような行動をとったからと言って軽蔑されたりしたことはありませんでした。
アメリカ人たちは、日本人というのは自分たちと異なる行動規範や倫理を持って生きている優れた人間たちだと、使節たちの語る言葉や一つひとつの行動から感じとっていたのです。
つまり、風俗習慣は異なっていても、確率された行動規範や倫理を持っていれば、世界のどこへ行っても、高く評価され、敬意の念で迎えられるということです。
しかし、それは強制されたものでなく、長く受け継がれてきた風習や価値観の中で醸し出される、という絶対条件があります。
この絶対的な条件を反故する、また、「苛政は虎りも猛なり」という故事を思い出させる動きが隣国で生じている・・・・と話されました。
かの朝鮮半島北部はかって高句麗の頃より、日本に大きな文化的影響をあたえてきた地域であることも忘れてはなりません。と。
情報が溢れんばかりになっている今だからこそ、高校生に多面的で複眼的な見識を育てることが大切であって、公立学校の責務だと感じています。
ただおしむらくは、日本社会の倫理は、徐々に衰えつつあると言われます。だからこそ、皆さんは、そういったものに抗して、時流に流されず、基本的な行動規範や倫理を大切にしてください。
「ウソは言わない」「卑怯なことをしない」「弱い者いじめをしない」という藤原正彦さんが主張した、人として守らなければならない「三か条」を入学生諸君には、是非つたえたいと思っていました。と結ばれました。
以上終わりです。ただし要約させていただいてています。
式辞をお聞ききしながら、そうなんです、そうなんですと思っていた私。式辞には拍手がないのがとっても残念(笑)
聞いたことは10日も経てば9割方忘れてしまうけど、こうして書いておいて時々眺めれば、初心に戻れそうです。
玄関を出たら、クラスごとに記念撮影をしていました。半世紀前の自分たちの記念撮影は桜の開花を待ってだったけど。「私あんなに初々しかったかしら」と月日の流れを感じたのでした。
ここしばらくいろんな行事が立て込みます。一つひとつ淡々とこなしていくつもりです。誤字があるかも・・・・。
依田 美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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お祝いをいただいたお返しの赤飯を2どう蒸かしました。それでもお赤飯だしと色を付けましたら、すっかり色の濃い桜色になってしまいました。
6年生になったちーちゃんはお弁当を持っての通学です。今日から通学班の班長も務めます。責任の重さを感じて少し緊張気味で出かけていきました。
お弁当のリクエストはエビマヨでした。この間のがとってもおいしかったようです。鳥のから揚げに焼売、パブリカの肉詰めにレタスにトマト。デザートはみかんに大きなおにぎり2個・・・・たぶん食べきれないわね。
1ケ月前の卒業式は女生徒の華やかな衣装ながらも、別れという寂しさな雰囲気もあったけれど、入学式はまだ少し幼さもあるけれど、夢と希望とひたむきさが感じられたのでした。
これから3年間で心身共に成長していくのですね。
3年間をどう過ごしていくのか・・・・これが一番重要なのだと思います。
校長先生の式辞・・・・・毎年生徒よりもしっかり聞く努力をしていますが、メモが追いつかないので・・・・校長先生に原稿のコピーをいただいてきました(笑)
式の終わった後の控室で、校長先生に「生徒や保護者に配布されたらどうですか」と式辞の内容が来賓の中で話題になりました。とってもいい式辞でした。
以下要約引用させていただきます。
数学者の藤原正彦さんの書いた「国家の品格」から、人間が生きていく中で、大切な行動規範や倫理は理屈で教えることはできない。育っていく過程で、自ずと身につくものであり、そしてもっとも大切なことは、
○ ウソをつかない
○ 卑怯なことをしない
○ 弱い者いじめをしない この3っだと言っています。
考えてみると、このような行動規範や倫理は、日本の中で、長い時間をかけて蓄積されてきたものであり、世界のどこへ行っても通用します。
(校長先生は続けられます。今日の、国際化・グローバル化・情報化という世相の中で、今大学入試改革・高校入試改革が進められていることを前提としての内容だと思いました)
日本は二百数十年の鎖国をして、異文化との交流をほぼ閉ざしました。1860年に、日米修好通商条約調印のために、日本の使節がアメリカへ行きました。
その時の彼らの正装は狩衣・烏帽子で、床に正座して日本風に挨拶をしました。
そのような行動をとったからと言って軽蔑されたりしたことはありませんでした。
アメリカ人たちは、日本人というのは自分たちと異なる行動規範や倫理を持って生きている優れた人間たちだと、使節たちの語る言葉や一つひとつの行動から感じとっていたのです。
つまり、風俗習慣は異なっていても、確率された行動規範や倫理を持っていれば、世界のどこへ行っても、高く評価され、敬意の念で迎えられるということです。
しかし、それは強制されたものでなく、長く受け継がれてきた風習や価値観の中で醸し出される、という絶対条件があります。
この絶対的な条件を反故する、また、「苛政は虎りも猛なり」という故事を思い出させる動きが隣国で生じている・・・・と話されました。
かの朝鮮半島北部はかって高句麗の頃より、日本に大きな文化的影響をあたえてきた地域であることも忘れてはなりません。と。
情報が溢れんばかりになっている今だからこそ、高校生に多面的で複眼的な見識を育てることが大切であって、公立学校の責務だと感じています。
ただおしむらくは、日本社会の倫理は、徐々に衰えつつあると言われます。だからこそ、皆さんは、そういったものに抗して、時流に流されず、基本的な行動規範や倫理を大切にしてください。
「ウソは言わない」「卑怯なことをしない」「弱い者いじめをしない」という藤原正彦さんが主張した、人として守らなければならない「三か条」を入学生諸君には、是非つたえたいと思っていました。と結ばれました。
以上終わりです。ただし要約させていただいてています。
式辞をお聞ききしながら、そうなんです、そうなんですと思っていた私。式辞には拍手がないのがとっても残念(笑)
聞いたことは10日も経てば9割方忘れてしまうけど、こうして書いておいて時々眺めれば、初心に戻れそうです。
玄関を出たら、クラスごとに記念撮影をしていました。半世紀前の自分たちの記念撮影は桜の開花を待ってだったけど。「私あんなに初々しかったかしら」と月日の流れを感じたのでした。
ここしばらくいろんな行事が立て込みます。一つひとつ淡々とこなしていくつもりです。誤字があるかも・・・・。
依田 美恵子
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