女優の津島恵子さんが逝去した。清楚な美人女優だったが、若い人には知らない方も多かろう。
津島恵子さんは、私が小学校一年生のころ30歳そこそこなのに、ものすごいお屋敷に住んでいた。今の女優の億ションなんて、そのお屋敷から見ればウサギ小屋のようなものだ。
なぜ私がそんなことを知っているかというと、そのお屋敷は私の住まいの近くにあったからである。むろん、私の住まいは三丁目の夕日に出てくるような、木造で隙間だらけの狭い家であり、住まいが近くでも格が全然違っていた。
昔は(三丁目の夕日の時代は)貧富の差が、今よりもずっと大きかった。津島恵子さんの家は、敷地が広大なのに昼なお暗い鬱蒼とした林の中にあった。大きな門柱の中が林になっていた。その奥の見えないようなところに、瀟洒な家があり、それが津島恵子さんの自宅だった。
近くには豪邸が並び、その中に小学校同級生で華僑のK君のお屋敷があった。すでに、この欄で述べたけれども、K君のお屋敷には室内に噴水があり、そのほとりに等身大の大理石の彫刻が置いてあった。
K君のお屋敷には、右翼の大物、赤尾敏氏が出入りしていた。なぜ華僑と右翼の大物とが関係があったのか、今もって謎である。
私が住んでいた住まいの一帯は、今はビルになっていて、老母がそのビルのごく一部のオーナーになっている。津島恵子さんの豪邸跡が今どうなっているかは知らない。
津島恵子さんは、私が小学校一年生のころ30歳そこそこなのに、ものすごいお屋敷に住んでいた。今の女優の億ションなんて、そのお屋敷から見ればウサギ小屋のようなものだ。
なぜ私がそんなことを知っているかというと、そのお屋敷は私の住まいの近くにあったからである。むろん、私の住まいは三丁目の夕日に出てくるような、木造で隙間だらけの狭い家であり、住まいが近くでも格が全然違っていた。
昔は(三丁目の夕日の時代は)貧富の差が、今よりもずっと大きかった。津島恵子さんの家は、敷地が広大なのに昼なお暗い鬱蒼とした林の中にあった。大きな門柱の中が林になっていた。その奥の見えないようなところに、瀟洒な家があり、それが津島恵子さんの自宅だった。
近くには豪邸が並び、その中に小学校同級生で華僑のK君のお屋敷があった。すでに、この欄で述べたけれども、K君のお屋敷には室内に噴水があり、そのほとりに等身大の大理石の彫刻が置いてあった。
K君のお屋敷には、右翼の大物、赤尾敏氏が出入りしていた。なぜ華僑と右翼の大物とが関係があったのか、今もって謎である。
私が住んでいた住まいの一帯は、今はビルになっていて、老母がそのビルのごく一部のオーナーになっている。津島恵子さんの豪邸跡が今どうなっているかは知らない。