街角に座って客の靴を磨く「靴磨き」という職業は私が成人してからもあった。
戦後しばらくの間は、戦争孤児などが浮浪児化して、「靴磨き」をすることがあった。私も少年時代にそのような子どもたちを見たことがある(東京の人形町のあたりだったか)。これを流行歌にした「東京シューシャインボーイ」という歌まであった。
イギリスでは産業革命後、貧富の格差が拡大してから、貧乏人が金持ちの靴を磨くことがあったらしい。とにかく「靴磨き」の仕事は客の足元にうずくまるような卑屈な姿勢をとらねばならず、貧富の差を強調するような光景となった。
亡父は、人間の前に足を突き出して、その人間をかがませて靴を磨かせるのイヤだと、終生「靴磨き」を利用しなかった。
その「靴磨き」もだんだん減少し、ついに絶滅した。20年ほど前のことだろうか。私が見たうちで最後まで残ったのは、東京丸の内地下街の「靴磨き」だった。地下道の一角にパーティションで一畳ほど区切られたスペースがあり、最後の「靴磨き」はそこで行われていた。そのうちに、そのパーティションも消えてしまった。
「靴磨き」が絶滅したのは、むろんわが国が裕福になって、社会保障が充実したことがあるだろうが、本皮でない靴を履く人が増えて、需要がなくなったことも大きいだろう。
亡父に習って、私も「靴磨き」を利用しないうちに、その職業そのものがなくなってしまった。
戦後しばらくの間は、戦争孤児などが浮浪児化して、「靴磨き」をすることがあった。私も少年時代にそのような子どもたちを見たことがある(東京の人形町のあたりだったか)。これを流行歌にした「東京シューシャインボーイ」という歌まであった。
イギリスでは産業革命後、貧富の格差が拡大してから、貧乏人が金持ちの靴を磨くことがあったらしい。とにかく「靴磨き」の仕事は客の足元にうずくまるような卑屈な姿勢をとらねばならず、貧富の差を強調するような光景となった。
亡父は、人間の前に足を突き出して、その人間をかがませて靴を磨かせるのイヤだと、終生「靴磨き」を利用しなかった。
その「靴磨き」もだんだん減少し、ついに絶滅した。20年ほど前のことだろうか。私が見たうちで最後まで残ったのは、東京丸の内地下街の「靴磨き」だった。地下道の一角にパーティションで一畳ほど区切られたスペースがあり、最後の「靴磨き」はそこで行われていた。そのうちに、そのパーティションも消えてしまった。
「靴磨き」が絶滅したのは、むろんわが国が裕福になって、社会保障が充実したことがあるだろうが、本皮でない靴を履く人が増えて、需要がなくなったことも大きいだろう。
亡父に習って、私も「靴磨き」を利用しないうちに、その職業そのものがなくなってしまった。