小学校3年生のとき、担任の女性教師が「屋のつくお店屋さんにはどんなものがあるでしょう?」と生徒に問うた。
「八百屋」、「下駄屋」など、いろいろな回答があった。中でN君が「おわい屋」と答えた。「おわい屋」とは当時のぼっとん便所の汲み取りをする仕事である。
そうしたら教師は「N君、なに?お椀屋でしょ。ね、お椀屋ですよね」と強い口調で迫った。N君はおずおずと「はい」と引き下がった。
そのとき、私は表現の仕方が分からなかったけれども、大人の言葉で言えば「タテマエ主義だな」と思った。
小学校5年生のときは男の教師だった。国語の教科書に「宇宙は不思議です。僕は絶対に科学者になろうと思いました」という少年の文章が載っていた。男性教師は「こういう考えは、すぐにひるがえってしまうでしょう」と論評した。
私はほとんど感動した。教師が教科書の内容を否定したのだ。
当時は男性教師のほうが断然正しいと思っていたけれども、今考えてみると、どちらの教育方法が優れていたのか分からない。人生を渡っていくにはタテマエも必要だろう。教育関係者はどのように思われるだろうか?
「八百屋」、「下駄屋」など、いろいろな回答があった。中でN君が「おわい屋」と答えた。「おわい屋」とは当時のぼっとん便所の汲み取りをする仕事である。
そうしたら教師は「N君、なに?お椀屋でしょ。ね、お椀屋ですよね」と強い口調で迫った。N君はおずおずと「はい」と引き下がった。
そのとき、私は表現の仕方が分からなかったけれども、大人の言葉で言えば「タテマエ主義だな」と思った。
小学校5年生のときは男の教師だった。国語の教科書に「宇宙は不思議です。僕は絶対に科学者になろうと思いました」という少年の文章が載っていた。男性教師は「こういう考えは、すぐにひるがえってしまうでしょう」と論評した。
私はほとんど感動した。教師が教科書の内容を否定したのだ。
当時は男性教師のほうが断然正しいと思っていたけれども、今考えてみると、どちらの教育方法が優れていたのか分からない。人生を渡っていくにはタテマエも必要だろう。教育関係者はどのように思われるだろうか?