明治時代に日本のどこかで徒競走だかマラソンだかをやった。そうしたら上位を占めるのはいつも車夫だった。そこで、その大会では車夫を排除することになった。
車夫は走るのが仕事だから、そういう人が大会にでるのはズルいとされた。車夫ならトップを占めて当たり前だというわけである。
このときから、車夫は走りのプロだと見なされて、アマチュアの大会に出てはいけなくなった。
オリンピックのアマチュアリズムも、このような事情から出てきたものだろう。昔はオリンピックにはプロは出られなかった。
それが最近、あやしくなってきた。どんな種目でも、プロが存在すればプロが出てもよくなった。
プロでもアマチュアに負けることがある。それで、プロが出てもよくなったのだが、元来プロはアマチュアには負けてはいけないものだった。プロはアマチュアよりも圧倒的に強かった。
囲碁将棋の世界を見よ。プロとアマチュアの間には深い川があって、それはアマチュアには渡れない川である。
オリンピックにプロが出てもよくなったのは、各国が是が非でも勝ちたいと思うようになったからではない。プロが弱くなっただけだ。
プロとアマの境界が曖昧になったのは、なにもスポーツに限ったことではない。流行歌の世界も映画の世界も同じである。アマがプロのような顔をして出ている。
車夫は走るのが仕事だから、そういう人が大会にでるのはズルいとされた。車夫ならトップを占めて当たり前だというわけである。
このときから、車夫は走りのプロだと見なされて、アマチュアの大会に出てはいけなくなった。
オリンピックのアマチュアリズムも、このような事情から出てきたものだろう。昔はオリンピックにはプロは出られなかった。
それが最近、あやしくなってきた。どんな種目でも、プロが存在すればプロが出てもよくなった。
プロでもアマチュアに負けることがある。それで、プロが出てもよくなったのだが、元来プロはアマチュアには負けてはいけないものだった。プロはアマチュアよりも圧倒的に強かった。
囲碁将棋の世界を見よ。プロとアマチュアの間には深い川があって、それはアマチュアには渡れない川である。
オリンピックにプロが出てもよくなったのは、各国が是が非でも勝ちたいと思うようになったからではない。プロが弱くなっただけだ。
プロとアマの境界が曖昧になったのは、なにもスポーツに限ったことではない。流行歌の世界も映画の世界も同じである。アマがプロのような顔をして出ている。