切符のことがチケットと言われ始めたのは案外古く、50年近く前、私が中学2年生のころだった。
なぜそんなことを覚えているかというと、学校で売られているパンの購入を「チケット制にしよう」とクラスの秀才が訴え始めたからである。チケットって何?と思った。まだ ticket という単語を習う前だった。
チケットが分からないから、秀才が何を求めているのか分からなかった。後になってチケットは切符のことだと知ったが、現金の代わりに切符制にするメリットが分からなかった。(未だに分からない。回数券のようにオマケが付いた覚えがない。)
その後、「チケット」はすたれずに生き残って、現在ではプレイガイドで売っているものはすべてチケットである。コンサートの切符とは言わない。コンサートのチケットと言う。
だが、それ以前はすべて「切符」と言ったのだ。映画も演劇も全部、「切符」だった。飛行機も切符だった。電車は未だに切符だから、なぜそれ以外のものをチケットと称するようになったのか、理由が分からない。
いま「尊敬」のことを、わざわざ「リスペクト」と言う。どうしても外来語でないと意味が通じにくい用語は存在する。でも、切符、尊敬をあえて外来語で言う必要性を感じない。「リスペクト」は50年後も生き残っているだろうか?
なぜそんなことを覚えているかというと、学校で売られているパンの購入を「チケット制にしよう」とクラスの秀才が訴え始めたからである。チケットって何?と思った。まだ ticket という単語を習う前だった。
チケットが分からないから、秀才が何を求めているのか分からなかった。後になってチケットは切符のことだと知ったが、現金の代わりに切符制にするメリットが分からなかった。(未だに分からない。回数券のようにオマケが付いた覚えがない。)
その後、「チケット」はすたれずに生き残って、現在ではプレイガイドで売っているものはすべてチケットである。コンサートの切符とは言わない。コンサートのチケットと言う。
だが、それ以前はすべて「切符」と言ったのだ。映画も演劇も全部、「切符」だった。飛行機も切符だった。電車は未だに切符だから、なぜそれ以外のものをチケットと称するようになったのか、理由が分からない。
いま「尊敬」のことを、わざわざ「リスペクト」と言う。どうしても外来語でないと意味が通じにくい用語は存在する。でも、切符、尊敬をあえて外来語で言う必要性を感じない。「リスペクト」は50年後も生き残っているだろうか?