院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

初代林家三平

2012-12-23 05:15:01 | 芸能
 幼少のころテレビはまだ家庭にはなく、娯楽は今よりずっと少なかった。町内会でバスの日帰り旅行が行われ、子供はもちろん大人も楽しんだ。児童公園では青空映画会が開かれた。祭りにはよしず張りの舞台が作られ芸人を呼んだ。

 その芸人の中に売れなかったころの林家三平がいた。その後もそうだったが、彼は立ったまま落語(のようなもの)をやった。話の内容は私が幼なすぎて理解できなかった。とくに爆笑を呼んでいた覚えはない。

 林家三平はその直後からテレビで活躍し、瞬く間に人気者になった。テレビの普及と林家三平の出世は並行していた。

 私が落語の意味が分かるようになってから、林家三平をテレビで見たところ、面白くもなんともなかった。落語というより小噺の羅列だった。ネタで覚えているのは、景品のタオルで浴衣を作ったら、胸のあたりが牛乳会社のタオルだった。そこで「乳帰る」(父帰る)なぞと言って笑わせるのだ。こうしたギャグは2回は使えない。

 小噺と小噺の接ぎ穂に「どうもすいません」と言う。「もう大変なんすから」「昨日寝ないで考えてきたんすから」と挟んでは観客の爆笑を誘っていた。「爆笑王」と言われたが、私には大して面白くなかった。観客が笑いすぎだと思った。

 漫談風の噺なら、桂米丸のほうが圧倒的に面白かった。

 林家三平はほんとうは古典落語ができたという話があるが、私は三平の古典落語を一度も聴いたことがない。54歳で亡くなってしまったから「伝説」の噺家になったけれども、今となっては実際の実力は分からない。