新聞の投書欄をもう50年以上も読んでいる。朝日、読売、中日と新聞社は変わったが、一貫して読んできた。(ここ20年は新聞をとっていないので、蕎麦屋で読んでいる。)
若いころは「そういう考え方もあるのか」と感心させられることもあったが、最近では「また同じことを言っている」と思うようになった。
曰く「老人を大事にしよう」、曰く「選挙の一票を大切にしよう」、曰く「マナーを守ろう」と、50年前と同じ投書が載っている。
投書を選ぶ人は50年前と違う人だろう。なのに、掲載されるのは同じ論調ばかりである。新聞社には守るべき伝統があって、それが脈々と受け継がれているのだろうか?
それから、投書者の年齢が老人か子供ばかりである。これも昔と変わらない。壮年者の投書がきわめて少ない、というより掲載されないのだろう。なんと、中日新聞の金曜日の投書欄は「若い声」と銘打って、毎週子供の投書特集である。
子供は大人の口マネをするから、投書を選ぶ人もやりやすいのだろう。だが、子供の投書に見るべきものはない。と言うより、気が利いたことを子供が言っても、掲載されないのだろう。
子供の絵のコンテストで、大人が描くような絵は当選しないのと同じである。将棋で大人を負かす子供がいるように、大人のような絵を描く子供もいるのだ。(例:横尾忠則さんの子供時代の絵。)
若いころは「そういう考え方もあるのか」と感心させられることもあったが、最近では「また同じことを言っている」と思うようになった。
曰く「老人を大事にしよう」、曰く「選挙の一票を大切にしよう」、曰く「マナーを守ろう」と、50年前と同じ投書が載っている。
投書を選ぶ人は50年前と違う人だろう。なのに、掲載されるのは同じ論調ばかりである。新聞社には守るべき伝統があって、それが脈々と受け継がれているのだろうか?
それから、投書者の年齢が老人か子供ばかりである。これも昔と変わらない。壮年者の投書がきわめて少ない、というより掲載されないのだろう。なんと、中日新聞の金曜日の投書欄は「若い声」と銘打って、毎週子供の投書特集である。
子供は大人の口マネをするから、投書を選ぶ人もやりやすいのだろう。だが、子供の投書に見るべきものはない。と言うより、気が利いたことを子供が言っても、掲載されないのだろう。
子供の絵のコンテストで、大人が描くような絵は当選しないのと同じである。将棋で大人を負かす子供がいるように、大人のような絵を描く子供もいるのだ。(例:横尾忠則さんの子供時代の絵。)