院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

キャンプ場の自己矛盾

2012-12-26 04:09:31 | レジャー
 キャンプとは何もないところに食料やテントを持ち込んで生活することではないのだろうか?例えばアマゾンの奥地に何かを求めて探検にはいって、文化的なものがなにもないジャングルでサバイバルするのが本来のキャンプではないか?

 私がキャンプに対して持っていたイメージは以上のようなものだった。高校生のころ、従兄と戸隠山に行った。テントと食料と水を持って行った。人っ子一人いない場所でキャンプをした。薪を近くの茂みから調達し、飯盒で飯を炊いた。このキャンプでさえ人里と離れていたわけではなく、いざとなれば里に下りればよいという安全なものだった。

 精神障碍者リハビリ施設で働いていたころ、施設利用者のキャンプが催された。みなで岐阜県のキャンプ場に行った。そこで私はたいへん疑問に思った。

 キャンプ場には水道も便所もあるのだ。飯が炊けるように釜戸もある。料理ができる炊事場があって、そこでカレーなどを作った。こんなに至れり尽くせりの生活がキャンプと言えるのだろうか?それはキャンプのまねごとに過ぎないのではないか?

 そもそもキャンプ場という有料の施設が存在すること自体がおかしい。キャンプとは、何もないから自分たちの力だけで生活するということではなかったのか?水道だの便所だのがあるのは、もうすでに十分文化的な生活で、キャンプとは言いえないのではないか?

 ところがシーズンになるとキャンプ場は大はやりである。みな、何をしにきたのだろうか?不便な生活がそんなに面白いのだろうか?それも中途半端な不便さである。そんなことをするくらいなら、自分ちの庭にテントを張ってはどうか?水は台所から持ってきて、排せつは家のトイレでして、飯だけ庭で炊いて庭に張ったテントで寝ればよいではないか?