院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

量り売りの記憶

2012-12-12 04:57:58 | 生活
 当地には惣菜を量り売りしてくれるスーパーがある。もしかしたら、量り売りは全国的な傾向なのかもしれないが、少なくとも名古屋のスーパーにはなかった。そもそも量り売りを放逐してトレーに詰めて売って、人件費を浮かせたのはスーパーだった。

 トレー入りは一人前分の品物がないと、独り者や独居老人には不評だった。今は一人前分がスーパーで買えるので、私は妻が留守の時に重宝している。

 スーパーが発達する前は、ほとんどすべての食品が量り売りだった。幼少のころ、油、醤油、酒は量り売りだった。三丁目の夕日の時代である。ビンをもって買い物に行かされた。

 酒屋には一斗樽が並んでいた。その樽の下の部分に穴が開いていて、そこに木の栓がしてあった。樽には油、醤油、酒がはいっていた。買いに行くと、店員が樽の下の栓を開いて、もってきたビンにそれらを詰めてくれた。

 味噌もパック入りというのはなく、これも樽に盛ってあって、シャベルですくって量り売りをしていた。豆は升で量り売りされていた。乾燥した大豆を一合升に入れて、盛り上がった部分を丸い棒で切って売られていた。

 ケチャップ、マヨネーズの量り売りというものはなかった。これらは、まだ新しい商品で、一部の上流家庭しか買わなかった。みなビン詰だった。

 惣菜の量り売りはなかった。なぜかというと、惣菜をのものが売っていなかったからだ。惣菜は各家庭で作るもので、出来合いのものが売られるようになったのは、ずっとあとのことである。

 スーパーが量り売りをするようになって、昔の商習慣を思い出した次第。