(トワイライトエクスプレスのスイートルーム。テレビ大阪のブログより引用。)
トワイライトエクスプレスが来年の春に終了するそうです。
私が初めて寝台車に乗ったのは、妻との婚約時代でした。名古屋から山陰本線で島根の米子まで行きました。(宿代を一泊分、浮かすためでした。)当然のことながら寝台車には到着駅のアナウンスがないのですね。乗客たちは深夜、途中駅で黙ったまま降りたり乗ってきたりしました。
3段あった寝台の、私は2段目に乗っていました。途中駅からトランクをもって乗ってきた男性が、さっさと最上階に上がり、すにぐ寝入ってしまいました。どういう仕事をしているのか分かりませんが、慣れたものでした。
初めての寝台車で眠れず、私は小さな窓から外を見ていました。雨の夜でした。暗闇から電燈が浮き出ては流れ去っていきました。こんなに遠いところまで来てしまったのだなと、深い旅情を感じました。
それから35年たって、私たち夫婦はトワイライトエクスプレスに札幌から米原まで乗りました。スイートルームが取れましたが、初めての寝台車のような旅情は感じられませんでした。揺れるので地震の夢ばかり見て、寝不足で米原に着きました。
そのトワイライトエクスプレスが消えていきます。でも、私たち夫婦が初めて乗った3段の寝台車は、惜しまれもせずとっくに消えました。飛行機の普及には勝てなかったのですね。
※今日、気にとまった短歌
別居するほどではないが家庭内別居の理由は鼾と思ふ (名古屋市)川面得英