(ウィキペディア「大阪大空襲」より引用。)
最近の新聞から拾った言葉。「生きたまま焼かれた」(80歳、男性)、「機銃掃射から逃げた」(82歳、男性)、「勤労動員で照明弾を作った」(83歳、男性)。これらの言葉から「戦争はイヤだ」、「二度と戦争をしてはならない」という結論が導かれます。
みなさん、言っていることはまことに正しいのですが、私はふと考ます。先の大戦にひどい負け方をしたから、こういう言葉が出てくるのではないでしょうか?もし勝っていたら、同じ人がいまと同じことを言ったでしょうか?
ローマ軍によるカルタゴの完全破壊、平家の全滅、南アメリカ大陸の完全スペイン、ポルトガル化。いずれも、負けた方は徹底的にやられました。戦争とはそういうもので、負けた側は滅亡します。あるいは、言語や文化を失ないます。奴隷にされるかもしれません。
いつぞや述べましたが、亡父はシベリヤ抑留を経験し、母は東京大空襲に襲われました。シベリヤでは極端な食糧不足とロシア兵による理由にもならないことでの処刑。東京は10万人が死に、焼け野原となりました。だから2人とも「戦争はつらかった」とは言います。しかし、なぜか「二度としてはいけない」とは言わないのです。
私には2人とも「負けたんだから仕方がない」と諦めているように見えます。つまり、「勝っていれば、こんなことにはならなかったのに」という含みがあるように感じるのです。
だから、冒頭のお年寄りたちの発言から導き出されるのは、「戦争をしてはいけない」ではなくて、本当は「戦争は負けてはいけない」ということではないでしょうか?
日本が日露戦争にぎりぎりで勝ったとき、国民は提灯行列をして盛大に祝いました。ぎりぎりの戦勝でしたから、ロシアからこれ以上の賠償は取れません。それ対して民衆は「政府はなまぬるい」といきり立ち、日比谷焼打ち事件まで起こしたのでした。日露戦争でも戦死者はたくさん出ました。栄養状態が悪く、陸軍では2万人もの兵が戦争ではなく脚気で死に、それなりに悲惨でした。
それでも「悲惨だ」、「イヤだ」、「二度と戦争をしてはならない」という声は聞こえませんでした。戦争に勝つと、国民は戦争に反省なんかしません。逆に「もっとやれ」と言うのです。ですから、いまお年寄りが先の大戦を「間違っていた」と感じるのは、戦いに負けたからに他なりません。
私は戦争奨励論者ではありませんが、故山本夏彦翁の「春秋あるべし自然なら」、「最後は暴力の出る幕だ」という言葉が理解できるのです。