院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

国民皆保険制度の消滅(わが国の産業利権構造-6-)

2014-08-16 05:38:46 | 医療
 今日述べることは私の被害妄想かも知れません。ですが、友人も含めて大変優秀な官僚がやることには深謀遠慮があるから、おろそかにはできないのです。

 今日は健康保険制度について述べる約束でした。世界に冠たるわが国の国民皆保険制度は昭和36年に一応の完成を見ました。皆保険制度は相互扶助の精神で貫かれています。このごろ若者たちの間に「待合室をサロンのように使用している老人たちのために健康保険料を支払いたくない」という考えが出てきました。

 このような考えが昭和30年代にあったなら、皆保険制度は実現しなかったでしょう。当時は戦後の復興期で国民が一丸となっていたと考えられます。だから、国民同士が、お互いを慮ばかることができました。そのような時代背景があって初めて皆保険制度が実現したと私は考えています。(アメリカは日本の皆保険制度を取り入れたいようですが、国民が互いに利害関係者で、何かというとすぐに弁護士を立てるような国柄では到底不可能です。)

 皆保険が企てられ、そして実現してからしばらくの間、医者は勤務医開業医を問わず、ものすごく儲かりました。現在の医者の比ではありません。それはなぜかというと、ある制度を定着させるまでは、それに携わる者を儲けさせるのが官僚の常套手段だからです。

 ともあれ、皆保険制度は医師会の力を増幅しました。皆保険で丸ごと国民の健康をあずかるような組織ですから、政府としてもやすやすとは触れられないのです。今度は官僚は、皆保険制度を医師会の手から奪い返す必要が生じてきました。そうしないと医師会の独走を許すことになります。

 先進医療を健康保健制度から外したり、患者の求めがあれば医学的に怪しい治療を(保険外なら)やってもよいような動きが出てきました。これらはまさに混合診療の解禁であり、イコール国民皆保険制度の否定です。医療への株式会社の参入も認められるようになりそうです。

 皆保険制度は完全に計画経済で、わが国では医療の世界だけが社会主義だったのです。そこに株式会社などの資本主義経済がはいってくると、皆保険制度という社会主義は崩れてしまいます。じつは、社会主義的な皆保険制度に不満な医者もいました。ある治療手技に対して価格が一意的に決められており、研修医がやっても経験が豊かな専門医がやっても、その手技は価格が同じだからです。

 上手下手があるのに価格が同じ、という点には確かに矛盾がありました。しかし、多くの医者は自分を上手下手で分けてほしくないというのが本音だったのではないでしょうか?(みんなで渡れば恐くない、というわけですね。)だから、医者が皆保険制度のもとに結集することは自らを守ることだったし、結果として医師会全体の力を強めるものでもあったのです。

 でもまあ、医療の世界に資本主義が入ってくるのは時間の問題でしょう。そして、10年を待たずに現在のような形の国民皆保険制度は消滅するでしょう。

(社会保険研究所刊。)
(この電話帳のような本に、すべての医療手技の値段が書かれています。この「辞書」を自由に操れる人が医療事務の専門家です。彼らが計画経済の実務を担ってきました。)

※今日、気にとまった短歌。

  吸ひかけの煙草もみ消し「実は」と言ふかかる呼吸の絶えて久しき  (東京都)上田国博