院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

補助金漬けの農家(わが国の産業利権構造-4-)

2014-08-14 05:43:36 | 経済
 昭和40年代は、わが国が急成長した時代です。自家用車を持つ家庭が飛躍的に増えました。海外旅行が自由化され、ハワイなどへ行く日本人が大量に発生しました。現在でもJALパックという商標がありますが、これは当時できたものです。

 農協の組合員もご多分に漏れず海外旅行にでかけました。ところが、なぜか農協組合員の海外旅行は評判が悪かったですね。「ノーキョー御一行様」というとマナーを知らない団体旅行の典型のように言われました。

 ノーキョーに限らず、当時の日本人はみな海外旅行のマナーなんて知らなかったのです。なのにノーキョーだけが非難されたのは、「百姓が海外旅行だなんて身のほど知らずだ!」という差別意識が都会人にあったからでしょう。また、元来貧困と思われていた農民が、急に金持ちになったことへのやっかみがあったのかも知れません。

 そのころアメリカでは、大規模農業が活発になり、飛行機で種や農薬を撒く時代になっていました。わが国はその道を拒否し、農業を支えるのを個人農家に任せました。それは何故なのか?この辺りは勉強不足で、私には何も言えない部分です。(日本は土地が狭いという言い分がありますが、広い農地がある場所でも大規模開発が認められなかったのですから、その理屈は通りません。)

 以来、政府は票田としても食糧自給の源としても、個人農家をどうしても潰せなくなり、ついに農家は補助金漬けになりました。やがて、農家は補助金のために働くようになり、本末が転倒しました。農家に嫁が来なくなったのは、農家が3Kの仕事だからではなく、補助金漬けだったからだという見方もあります。

 こうして、若者が農村から離れ、就農者が高齢化して、農村はもはや大票田ではなくなりました。ここに至って、ようやく農協解体が始まったのでした。2日前に産業構造改革の最大抵抗勢力は農協と医師会だという元官僚の言葉を紹介しましたが、その一方である農協は、もういくら抵抗しても風前の灯だと言えましょう。


(TPP反対集会。JA広島農青連のHPより引用。)
 

 すでに述べたように、官僚にはもともと農協を潰したいという考えがありました。ここでTPPを利用しないという手はありません。ガイアツを利用するのは、むかしからの日本の支配者の常套手段でした。(個人農家政策をとっておいて、それがうまくいかなくなると捨ててしまうわけですね。)

 次回からは、医師会の解体について述べましょう。

参考:「三ちゃん農業」という言葉を覚えておられますか?その後、いくら補助金を積んでも働き手を農村にとどめることができませんでした。池田農政の失敗でした。所得は倍増しましたが・・。