先の大戦はまだ総括されていないと言われます。ここでいう「総括」とは、日本の戦争責任とか日本がいかに悪いことをしたか、ということをきちんと言語化することのようです。(そんなこと、できっこありません。戦争はお互い様なのですから・・。)
戦争に善玉も悪玉もありませんが、勝ったほうはすべて負けた方が悪いことにしてしまいます。これは常識です。勝てば官軍という言葉があるように、戦勝国の好き勝手はいま始まったことでことではありません。
先日、広島の原爆記念日の項目でも述べましたが、アメリカ軍に何十万という非戦闘員を殺されても、式典でのアメリカ批判はタブーとなっています。石碑には「過ちは繰り返しませぬから」と刻んであって、この文の主語は誰であるかが問題となったりします。何十万人殺されても、アメリカに恨み言ひとついえない。これが戦争に負けるということです。
「戦後、アメリカの圧倒的な豊かさを見て、こんな国と戦争しても勝てっこない。愚かな戦争だった」とか「物量から言って勝ち目はなかった」なぞと、あとづけの感想がしきりに聞かれますが、(変な言い方ですが)これは負けたから言えることです。もし、仁科博士らの学派がアメリカより先に原爆を開発していれば、勝ったかもしれません。
日本人は負けたことを、もっと受け入れる必要があります。「敗戦」を「終戦」と言い直して、ひどい負け方の感じを薄めたのはだれでしょうか?日本が敗戦国であることを、きちんと意識すると、基地問題や国際問題で意味が分からない部分が、あっそうか!と分かることがあります。
ロシアの裏切りと見えるシベリヤ抑留や北方領土の占領も、軍事力のバランスから生まれたもので、ロシアが一方的に不可侵条約を破ったと責めるのは、あまりにお人好しです。条約を破っても誰からも非難されなければ、条約はいつでも破られます。国とはサイコパスと同じですから、そのように付き合わなくてはなりません。
終戦と言はぬ男の敗戦日 詠み人知らず
戦争に善玉も悪玉もありませんが、勝ったほうはすべて負けた方が悪いことにしてしまいます。これは常識です。勝てば官軍という言葉があるように、戦勝国の好き勝手はいま始まったことでことではありません。
先日、広島の原爆記念日の項目でも述べましたが、アメリカ軍に何十万という非戦闘員を殺されても、式典でのアメリカ批判はタブーとなっています。石碑には「過ちは繰り返しませぬから」と刻んであって、この文の主語は誰であるかが問題となったりします。何十万人殺されても、アメリカに恨み言ひとついえない。これが戦争に負けるということです。
「戦後、アメリカの圧倒的な豊かさを見て、こんな国と戦争しても勝てっこない。愚かな戦争だった」とか「物量から言って勝ち目はなかった」なぞと、あとづけの感想がしきりに聞かれますが、(変な言い方ですが)これは負けたから言えることです。もし、仁科博士らの学派がアメリカより先に原爆を開発していれば、勝ったかもしれません。
日本人は負けたことを、もっと受け入れる必要があります。「敗戦」を「終戦」と言い直して、ひどい負け方の感じを薄めたのはだれでしょうか?日本が敗戦国であることを、きちんと意識すると、基地問題や国際問題で意味が分からない部分が、あっそうか!と分かることがあります。
ロシアの裏切りと見えるシベリヤ抑留や北方領土の占領も、軍事力のバランスから生まれたもので、ロシアが一方的に不可侵条約を破ったと責めるのは、あまりにお人好しです。条約を破っても誰からも非難されなければ、条約はいつでも破られます。国とはサイコパスと同じですから、そのように付き合わなくてはなりません。
終戦と言はぬ男の敗戦日 詠み人知らず