(碁盤の裏側。朝日新聞デジタルより引用。)
碁盤の裏側の中心に四角い溝が掘ってあります。これはなんのためにあるのかご存じですか?4本ある碁盤の足のうち1本だけ抜けるようになっています。それも、いったいなんのためでしょうか?(抜ける足の見えない部分には作者の銘が掘ってあります。)
一つの伝説ですが、囲碁に勝った方が碁盤の抜ける足を抜いて、その足で負けた方を殴り殺すのだそうです。そして最後に、負けた方の首をはね、その生首を碁盤の裏側の中心に置きます。中心に掘られた溝は、生首から流れる血の血溜めだとのことです。
勝負とは生きるか死ぬか、という厳しいものだという教えです。
アメリカは日本に原爆を落として、一挙に何十万人という非戦闘員を殺しました。ほとんど勝っていた戦争を、アメリカは原爆で駄目押ししたのでした。
このたびの広島の原爆記念日には、キャロライン・ケネディ駐日大使とジョン・ルース元駐日大使が初めて参列しました。ルース元大使は、アメリカにいたまま論評だけしている方がどんなに楽か、と複雑な心境を覗かせています。
原爆記念日の式典では、毎回そうですがアメリカに対する恨み言は一言も出ませんでした。ニュース報道でも、加害者であるアメリカの「ア」の字も出ませんでした。原爆投下はまるで加害者がいないかのようです。日本への原爆投下は、アメリカの庶民の間では、日本軍の横暴から東南アジアを救ったとか、双方でさらに多くの犠牲者が出るのを防いだということになっています。
でも、なんと言われようとアメリカに恨み言を言うことはできないんです。アメリカの属国のような扱いをされても、アメリカの都市に韓国の慰安婦像を建てられても(これはアメリカ市民の賛成がなければできないことです)、文句ひとつ言えない。
これが負けるということです。負けた方は惨めな思いをするしかないのです。戦争とは古来そういうものではないでしょうか?