(宮原コミュニティーセンター。さいたま市のHPより引用。)
大宮の公民館がある素人俳句の展示を拒否したそうです。(大宮の公民館としか報道されなかったので、上の写真とは別の場所かもしれません。)拒否されたのは次の俳句です。
梅雨空に「九条守れ」の女性デモ
公民館側の言い分は、世論が2分しているような事柄は公の施設に掲げるべきではないとのことで、「公民館だより」もその号だけは俳句コーナーを取りやめたそうです。上の俳句は73歳の女性の作で、公民館の句会で多くの得点を取り、高得点の句はいつもは「公民館だより」に掲載され、短冊が公民館に展示されます。
公民館のこの措置にたいして、名古屋大学のM教授は、国論が2分しているからこそこの俳句は掲示しなければならない、と論評していました。
ああ、どちらもなんと分からず屋で無粋で石アタマなのでしょうか?この俳句は少しも護憲を主張していないのに、公民館も教授も勝手に護憲の俳句と思い込んでしまったようですね。
俳句は「もの言わぬ文芸」です。この俳句は九条に賛成とも反対とも言っていないのです。というより、俳句の約束事項として、主義主張は言ってはいけないのです。「梅雨空にデモがあった」という事実だけを提示するのが俳句です。この俳句に七七を付けて短歌にするならば、次のような意味の異なる例が作れてしまいます。
(1)梅雨空に「九条守れ」の女性デモ 女のくせにしゃらくさきかな
(2)梅雨空に「九条守れ」の女性デモ 誰もがものを言へる世の中
(3)梅雨空に「九条守れ」の女性デモ われも同感列に加はる
短歌のようには自己主張しない、俳句のこういう感覚が「もの言わぬ文芸」たるところです。最後までは言わないのです。国論を2分するもへったくれもありません。だって、なにも言っていないのですから。作者の73歳の女性もさぞ驚いたことでしょう。