院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

サプリメントの「薬効」表示の解禁(わが国の産業利権構造-7-)

2014-08-17 06:08:42 | 心理
 現在盛んに売られているサプリメントには何の薬理効果もありません。つまり、小麦粉を丸めた偽薬とほぼ同じです。そのため、これまで私はサプリメント批判をしてきましたが、サプリメントは効く人には効くのです。いい薬を飲んだから!という心理的な効果ですね。これをプラセボー(偽薬)効果といいます。その上、今後サプリメントは「効能」を謳ってもOKになるので、一層「効く」ようになるでしょう。

 逆にいうと、医者が処方する「正規の薬」もその元来の薬効ではなくて、プラセボー効果で効いていることがあります。次のグラフがそれを物語っています。


(明治製菓、リフレックス錠の添付文書より引用。)

 上図はリフレックスという抗うつ剤を6週間投与して経過を追ったものです。一番上の曲線(黒丸)がプラセボーを与えた群で、一番下の曲線(黒四角)がリフレックス30㎎を投与した群です。縦軸はうつ症状の改善度を表します。どの曲線も右肩下がりになっていますから、すべての群で改善が見られ、6週間たつと10ポイント~14ポイントよくなっています。

 プラセボー群が10ポイントしかよくなっていないのに、リフレックス30㎎投与群は14ポイントよくなっています。だから、この図の制作者はプラセボー群より実薬のほうが確かに効くと言いたいわけです。ところが、プラセボー群でも10ポイントもよくなっています。つまり、プラセボーだけでもけっこう「効く」のです。ということは、リフレックスの効果とは、実薬部分の効果とプラセボー効果が足し算されたもの理解しなくてはなりません。

 言い換えると、医者が処方した「実薬」で患者さんがよくなったとき、それが薬物本来の効果でよくなったのか、プラセボー効果でよくなったのか、医者にも誰にも分からないというケースが生じます。(医者は薬物本来の効果と考えがちですが、薬の種類によってはプラセボー効果のほうが大きい場合もあります。)

 現在のところ、「実薬」は医者にしか処方できません。だから、患者さんがよくなったのがプラセボー効果によるものであったとしても医者の手柄になっていました。

 冒頭にサプリメントが「薬効」を謳うと、もっと「効く」ようになると述べました。そうなると、実薬とサプリメントの境界があいまいになり、医者の独占だった「実薬をプラセボーとして(それとは知らずに)使用する既得権」が大幅に削られることになります。(この辺、意味が分かりにくいですか?)この既得権がなくなると、医者の独占業務が打撃を受けることは明らかです。

 私の被害妄想とお断りしておきますが、厚労省はサプリメントが「薬効」を謳うのを許可することによって、上記の医者の既得権を奪おうとしているのではないでしょうか?それでは医者は立つ瀬がなくなります。

(エビデンス(科学的証拠)にうるさいアメリカが、なぜサプリメント天国なのか不思議に思っていました。でも最近、サプリメントは効かないとアメリカでも言われるようになってきました。日本ではどうなるでしょうか?)

国民皆保険制度の消滅(わが国の産業利権構造-6-)

2014-08-16 05:38:46 | 医療
 今日述べることは私の被害妄想かも知れません。ですが、友人も含めて大変優秀な官僚がやることには深謀遠慮があるから、おろそかにはできないのです。

 今日は健康保険制度について述べる約束でした。世界に冠たるわが国の国民皆保険制度は昭和36年に一応の完成を見ました。皆保険制度は相互扶助の精神で貫かれています。このごろ若者たちの間に「待合室をサロンのように使用している老人たちのために健康保険料を支払いたくない」という考えが出てきました。

 このような考えが昭和30年代にあったなら、皆保険制度は実現しなかったでしょう。当時は戦後の復興期で国民が一丸となっていたと考えられます。だから、国民同士が、お互いを慮ばかることができました。そのような時代背景があって初めて皆保険制度が実現したと私は考えています。(アメリカは日本の皆保険制度を取り入れたいようですが、国民が互いに利害関係者で、何かというとすぐに弁護士を立てるような国柄では到底不可能です。)

 皆保険が企てられ、そして実現してからしばらくの間、医者は勤務医開業医を問わず、ものすごく儲かりました。現在の医者の比ではありません。それはなぜかというと、ある制度を定着させるまでは、それに携わる者を儲けさせるのが官僚の常套手段だからです。

 ともあれ、皆保険制度は医師会の力を増幅しました。皆保険で丸ごと国民の健康をあずかるような組織ですから、政府としてもやすやすとは触れられないのです。今度は官僚は、皆保険制度を医師会の手から奪い返す必要が生じてきました。そうしないと医師会の独走を許すことになります。

 先進医療を健康保健制度から外したり、患者の求めがあれば医学的に怪しい治療を(保険外なら)やってもよいような動きが出てきました。これらはまさに混合診療の解禁であり、イコール国民皆保険制度の否定です。医療への株式会社の参入も認められるようになりそうです。

 皆保険制度は完全に計画経済で、わが国では医療の世界だけが社会主義だったのです。そこに株式会社などの資本主義経済がはいってくると、皆保険制度という社会主義は崩れてしまいます。じつは、社会主義的な皆保険制度に不満な医者もいました。ある治療手技に対して価格が一意的に決められており、研修医がやっても経験が豊かな専門医がやっても、その手技は価格が同じだからです。

 上手下手があるのに価格が同じ、という点には確かに矛盾がありました。しかし、多くの医者は自分を上手下手で分けてほしくないというのが本音だったのではないでしょうか?(みんなで渡れば恐くない、というわけですね。)だから、医者が皆保険制度のもとに結集することは自らを守ることだったし、結果として医師会全体の力を強めるものでもあったのです。

 でもまあ、医療の世界に資本主義が入ってくるのは時間の問題でしょう。そして、10年を待たずに現在のような形の国民皆保険制度は消滅するでしょう。

(社会保険研究所刊。)
(この電話帳のような本に、すべての医療手技の値段が書かれています。この「辞書」を自由に操れる人が医療事務の専門家です。彼らが計画経済の実務を担ってきました。)

※今日、気にとまった短歌。

  吸ひかけの煙草もみ消し「実は」と言ふかかる呼吸の絶えて久しき  (東京都)上田国博

日本医師会の現状(わが国の産業利権構造-5-)

2014-08-15 06:02:51 | 医療
 行政への抵抗勢力としての日本医師会について述べるに当たり、それがどんなものか予め知識が必要です。少し見ておきましょう。

 日本医師会(以下、単に医師会)は形としては学会です。学術雑誌と業界雑誌も出しています。(学術雑誌は誰も読みませんが。)しかし、むかしから圧力団体と世間ではみなされており、事実そうした面が大きいです。また、医者同士の互助会機能もあります。私は開業直後、経営資金として医師会関連の金融機関から何百万円か無担保で借りられました。利息はわずか年1%で、ありがたかったです。

 医師会にはすべての医者が加入していると思われがちです。確かに形式上、勤務医も混ざっています。でも、勤務医は会費(年40万円ほど)を支払っていません。医師会が開業医だけの団体に矮小化して見られるのを、勤務医を無償で加入させて防いでいる形です。

 名前だけでも医師会に加入している勤務医は、それでも勤務医の一部です。さらに、都市部では開業医さえ医師会に加入しなくなりました。かつて有名な医師会長、故武見太郎氏は25年間にわたり医師会に君臨し、影の厚生大臣と呼ばれたほどですが、彼亡きあと医師会は凋落の一途をたどっています。


(1982年の対談。武見太郎氏(左)と日野原重明氏(右)。医学書院のHPより引用。)

 武見氏は日本の医療の未来を考えていた人で、金儲けばかりを考えていた人ではありません。そのため「開業医の3分の1は強欲だ」と批判したり、精神病患者を収容だけして治療がおろそかな精神病院のオーナーを「牧畜業者」と痛罵しました。

 医師優遇税制というのが、むかしありました。これは収入の確か70%くらいを最初から無条件に控除されるという、医者にたいへん有利な制度でした。当時、勤務医だった私は、君は税金が優遇されていいなぁ、と非医師の友人に言われました。でも、それは誤解で、勤務医は普通のサラリーマンと同じ税制です。医師優遇税制が適用されたのは開業医だけだったのです。(厳しく批判されて医師優遇税制は規模はとても小さくなりましたが、収入が少ない開業医向けに実はまだ存在しています。)

 医師会はボランティア的な仕事をたくさんやっています。学校医、住民健診、集団予防接種、乳幼児検診、介護保険認定、休日急病診療所などです。無給のボランティアではありませんが、それだけの労力をさくならば、普通の診療をしていたほうが楽だとは言えます。

 ですから、医師会の協力なくしては地方自治体の健康行政は成り立ちません。地方自治体が地元医師会に頭が上がらない理由はここにあります。

 医師会がいつも行政と綱引きをするのは、健康保険制度です。わが国の国民皆保険制度はじつは医師会が医師会としてまとまる最大の要素なのです。これについては、次回に述べましょう。

補助金漬けの農家(わが国の産業利権構造-4-)

2014-08-14 05:43:36 | 経済
 昭和40年代は、わが国が急成長した時代です。自家用車を持つ家庭が飛躍的に増えました。海外旅行が自由化され、ハワイなどへ行く日本人が大量に発生しました。現在でもJALパックという商標がありますが、これは当時できたものです。

 農協の組合員もご多分に漏れず海外旅行にでかけました。ところが、なぜか農協組合員の海外旅行は評判が悪かったですね。「ノーキョー御一行様」というとマナーを知らない団体旅行の典型のように言われました。

 ノーキョーに限らず、当時の日本人はみな海外旅行のマナーなんて知らなかったのです。なのにノーキョーだけが非難されたのは、「百姓が海外旅行だなんて身のほど知らずだ!」という差別意識が都会人にあったからでしょう。また、元来貧困と思われていた農民が、急に金持ちになったことへのやっかみがあったのかも知れません。

 そのころアメリカでは、大規模農業が活発になり、飛行機で種や農薬を撒く時代になっていました。わが国はその道を拒否し、農業を支えるのを個人農家に任せました。それは何故なのか?この辺りは勉強不足で、私には何も言えない部分です。(日本は土地が狭いという言い分がありますが、広い農地がある場所でも大規模開発が認められなかったのですから、その理屈は通りません。)

 以来、政府は票田としても食糧自給の源としても、個人農家をどうしても潰せなくなり、ついに農家は補助金漬けになりました。やがて、農家は補助金のために働くようになり、本末が転倒しました。農家に嫁が来なくなったのは、農家が3Kの仕事だからではなく、補助金漬けだったからだという見方もあります。

 こうして、若者が農村から離れ、就農者が高齢化して、農村はもはや大票田ではなくなりました。ここに至って、ようやく農協解体が始まったのでした。2日前に産業構造改革の最大抵抗勢力は農協と医師会だという元官僚の言葉を紹介しましたが、その一方である農協は、もういくら抵抗しても風前の灯だと言えましょう。


(TPP反対集会。JA広島農青連のHPより引用。)
 

 すでに述べたように、官僚にはもともと農協を潰したいという考えがありました。ここでTPPを利用しないという手はありません。ガイアツを利用するのは、むかしからの日本の支配者の常套手段でした。(個人農家政策をとっておいて、それがうまくいかなくなると捨ててしまうわけですね。)

 次回からは、医師会の解体について述べましょう。

参考:「三ちゃん農業」という言葉を覚えておられますか?その後、いくら補助金を積んでも働き手を農村にとどめることができませんでした。池田農政の失敗でした。所得は倍増しましたが・・。

昭和30年代の農家は苦しかった(わが国の産業利権構造-3-)

2014-08-13 07:17:07 | 経済
 昭和30年代、すなわち「三丁目の夕日」の時代は都市経済が著しく発達しました。それに比べて、農村は経済発展から取り残され、大都市では高校進学率が50%を超えても、農村では子どもを高校にやるのは大変でした。「集団就職」には農家の口減らしという意味がありました。


(館林駅で集団就職の少年少女を見送る。(株)花膳(鶏めし)のHPより引用。)

 その少し前、歌謡曲の世界では島倉千代子の「東京だョおっ母さん」(昭32)や三橋美智也の「夕焼けとんび」(昭33)や守屋浩の「僕は泣いちっち」(昭35)が流行しました。いずれも東京に憧れる歌です。「夕焼けとんび」には「そこから東京が見えるかい?」ととんびに問いかけるシーンが出てきます。太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(昭50)は守屋浩の歌の男女逆バージョンですね。

 極め付けは井澤八郎の「あゝ上野駅」(昭39)でしょう。集団就職をもろに歌った歌です。集団就職の映像がテレビでしきりに流され、私は父親から意地悪くも「おまえも中学を出たら、あのように働きに出られるか?」と問われ、沈黙するよりありませんでした。

 ですが、この時期に大都市へ出てきた若者で成功した者は稀有でした。たよる先輩も同僚もなく、多くは落ちぶれるか故郷へ帰ったといいます。戦前の丁稚奉公よりもひどかったともいわれます。丁稚奉公は制度として確立していましたが、集団就職は成算が不確かな実験に過ぎませんでした。

 都市と農村の所得の差、すなわち工農の所得差をなくすために食管制度が使われました。「生産者米価」、「消費者米価」という用語を聞いたことがある人は、けっこう年配です。簡単に言えば、米を市場価格より高く買い上げて、農業所得の少なさに補助が行われたわけですね。こうした補助のために農家は蝕まれていったのだと私は思っています。(つづく)

釣り人が漁協に挨拶!?(わが国の産業利権構造-2-)

2014-08-12 04:57:11 | レジャー

(浜名湖夕景。浜名湖遊覧船のHPより引用。)

 35年前、私は浜松の浜名湖の近くの病院に勤めていました。その病院に若い私を教育してくれた大先輩(故人)がいました。

 その先輩はものすごい釣りマニアで、釣りがしたいために浜名湖近くの病院に来られたのではないかと思えるほどでした。

 先輩はレジャーボートで釣りをするだけでは飽き足らず、(レジャーボートは釣り用には作られていません)、とうとう漁船を買ってしまいました。漁船と言っても一人乗りで、幅1メートル長さ5メートルほどの小さな船ですが・・。

 漁船を買ったとき、先輩は浜名湖漁協の理事たちにあいさつ回りをしたのでした。彼が言うに「素人が漁船なぞ買うと、なにかと誤解される」、「生意気に思われる」とのことでした。

 それで先輩は手土産を持って理事宅を回り、漁船では自分が食べれられる量の魚しか獲らないこと、航路はきちんと守ることを説明して理解を得ました。(浜名湖内にもちゃんと航路があるのです。)

 並みの釣り人は漁協の存在を気にする必要はありませんが、強烈なマニアになると漁協との付き合いが必要になると、私はそのときに学びました。また漁協が、浜名湖のすべての利権を牛耳っていることも・・。

※今日、気にとまった短歌。

  絶え間ないフラッシュライトの中歩くスーパーモデルの気分だ雷雨は  (東京都)上田結香

漁協は苦しいのだろうか?(わが国の産業利権構造-1-)

2014-08-11 06:45:17 | 経済
 友人の元官僚によれば、産業構造改革の最大の抵抗勢力は農協と医師会だそうです。それらの組織がなぜ改革の邪魔になるかは、おいおい考察していくとして、まず漁協にかんする私の疑問を述べましょう。


(燃油高騰への対策を求める佐賀県の漁業関係者。佐賀新聞のHPより引用。)

 農家は後継者不足に悩んでおり、就農者251万人のうち187万人、すなわち75%が60歳以上です。一方、漁業者は17万4千人のうち60歳以上は7万5千人で43%です。(総務省統計局による。)

 漁業者も高齢化はしていますが、就農者ほどではありませんね。平均収入は月30万~35万程度(Career Garden による)で、他の産業よりもいくらか多いです。

 そのためかどうか、漁業者が後継者不足だとはあまり聞きません。それに、漁業者はたいへん保護されています。端的なのは漁業権です。つまり、その海域で漁業をする独占権を与えられているわけです。他の者がそこで水産物を取ると密漁とされます。つまり、漁業者は手厚く保護されています。

 漁業権は譲渡できません。では、どうするかと言うと世襲なのですね。漁業権は漁協に与えられています。では、漁協の組合員になるにはどうすればよいのでしょうか?申し込んで理事会で認められればOKです。しかし、実際のところ漁協に加入したいと言ってくる人は、漁業者の子弟しかいないのです。だから、世襲と同じです。

 関係ない人が漁協に入りたいと言ってきたら、理事会は入れてあげるのかどうか知りませんが、たぶん断ると私は思います。賃金の安い外国人を乗せた重装備の船が大企業から派遣されて、漁業権を要求してくることだってありうるのですから。

 漁業は自然が相手ですから水ものです。当たれば大儲けができます。上述の Career Garden によれば年収1,000万円も夢ではないそうです。

 魚が獲れるか獲れないかは確かに水ものですが、どういう規模の漁船や網を買うかなど、経営判断も必要です。燃料代だって上下しますから、あらかじめリスクを見ておかなくてはならないでしょう。

 ところが、燃料代が上がったから値上がり分を政府が(税金から)補償せよ、と漁業者が各地でデモをやったことが何度もあります。(実際、補償されました。)燃料代が上がったらトラック業界の人たちは政府に補償せよと言うでしょうか?私にとって漁協のことが理解しにくいのは、まずはその点にあります。

湯河原一泊旅行

2014-08-10 12:01:14 | 食べ物
 旅行があまり好きでない私が旅行に行くのは、温泉や食事が楽しみだからではありません。ひとえに妻を食事作りから解放するためです。あとは、地元にいるより俳句が多く作れるくらいがメリットでしょうか。

 そのような次第で、先日、熱海近くの湯河原温泉へ一泊で行きました。


(宿の近くの竹林。)

    宿までは竹林を縫ふ径涼し  ひとし

 宿は、料理がうまいと旅行会社の人に勧められて、「海石榴」(つばき)というところに決めました。確かに食事が良かったです。部屋食で、しかも冷めないように料理が出てくるところは料亭と同じでした。朝食も部屋食で趣向が凝らされて、隙がありませんでした。


(旅館「海石榴」の玄関。「海石榴」を「つばき」と読ませるのは万葉集に由来するのだそうです。)

 先日、激賞した玉造温泉の「佳翠苑 皆美」(2014-05-10)と同程度の料理でした。ただ、宿賃が2倍以上だったので、ありがたみは玉造温泉に軍配が上がります。

 では昨年、探訪した「嵐山吉兆」(2013-08-15)と比べてどうかというと、タッチの差で「吉兆」の勝ちです。昨年の記事でも述べましたが、今回の宿「海石榴」や「つきぢ田村」が、「吉兆」に決定的にかなわないところは、ズバリ仲居の質ですね。

 「吉兆」の仲居は若い美人で、私の根っこをほじるような質問にも的確に応えることができました。先日、小さな子ども連れで「つきぢ田村」へ行きましたが、仲居はその辺のおばちゃんでした。したがって料理や酒の説明ができません。でも、幼な児を可愛がったりあやしたりしてくれるので、それはそれで良いんですけれどもね。(「つきぢ田村」は幼な児も断らず、きどらないところが売りでもあります。)

 ここ2年ほど、ちょっと奮発して高めの旅館に泊まってみたら、ちゃんとした料理を出す旅館は少ないが存在することが分かりました。30歳代前半に、下呂の有名旅館「水明館」で学生食堂のようなひどい料理を出されてから、私は旅館に敵意をもっていたのでした。

 2006-08-112012-08-24 の旅館批判は少し緩めなくてはならないでしょう。まともな料理人がいる旅館もあることを、この歳になって初めて知りました。

富士フィルム(株)の生き残り戦略

2014-08-10 05:23:33 | 技術

(富士フィルムのサプリメント。富士フィルムのHPより引用。)    

 次の川柳は先日の中日新聞に載った読者の作です。

    偽サプリ詐欺と言わない七不思議  稲垣宏

 今後「生産者の責任において」サプリでも野菜でも「効能」を謳ってよいことになりますから、ますます詐欺とは言わなくなるでしょう。

 富士フィルムはデジカメに押されて銀塩フィルムで稼ぐことができなくなりました。その時期に一致してサプリを売り始めましたから、フィルムの代わりの儲け口を求めたと勘ぐられても仕方がないでしょう。

 富士フィルムはもともと、まともな薬を売っていました。富士フィルム製薬部の薬理学研究者はサプリの発売に忸怩たる思いだと推察します。

 富士フィルムは、かつてASA感度400のフィルムを開発して、さくらフィルムを潰し、さらにコダックを追い落としました。今度はデジカメに追い落とされる番です。産業界の栄枯盛衰を見ていると、生存競争ってほんとに厳しいなと、つくづく思います。

註:サプリメントに少しでも薬理効果があると思っている人には、冒頭の川柳の面白さは分からないでしょう。サプリメントには精神的な効果はあるかも知れませんが、薬理効果はまったくありません。

参考:アリナミンEXゴールドの項目(2013-08-07

俳句知らずの行政と大学教授

2014-08-09 06:38:36 | 俳句

(宮原コミュニティーセンター。さいたま市のHPより引用。)

 大宮の公民館がある素人俳句の展示を拒否したそうです。(大宮の公民館としか報道されなかったので、上の写真とは別の場所かもしれません。)拒否されたのは次の俳句です。

    梅雨空に「九条守れ」の女性デモ

 公民館側の言い分は、世論が2分しているような事柄は公の施設に掲げるべきではないとのことで、「公民館だより」もその号だけは俳句コーナーを取りやめたそうです。上の俳句は73歳の女性の作で、公民館の句会で多くの得点を取り、高得点の句はいつもは「公民館だより」に掲載され、短冊が公民館に展示されます。

 公民館のこの措置にたいして、名古屋大学のM教授は、国論が2分しているからこそこの俳句は掲示しなければならない、と論評していました。

 ああ、どちらもなんと分からず屋で無粋で石アタマなのでしょうか?この俳句は少しも護憲を主張していないのに、公民館も教授も勝手に護憲の俳句と思い込んでしまったようですね。

 俳句は「もの言わぬ文芸」です。この俳句は九条に賛成とも反対とも言っていないのです。というより、俳句の約束事項として、主義主張は言ってはいけないのです。「梅雨空にデモがあった」という事実だけを提示するのが俳句です。この俳句に七七を付けて短歌にするならば、次のような意味の異なる例が作れてしまいます。

  (1)梅雨空に「九条守れ」の女性デモ 女のくせにしゃらくさきかな

  (2)梅雨空に「九条守れ」の女性デモ 誰もがものを言へる世の中

  (3)梅雨空に「九条守れ」の女性デモ われも同感列に加はる

 短歌のようには自己主張しない、俳句のこういう感覚が「もの言わぬ文芸」たるところです。最後までは言わないのです。国論を2分するもへったくれもありません。だって、なにも言っていないのですから。作者の73歳の女性もさぞ驚いたことでしょう。

原爆記念日に寄せて--戦争に負けるということ

2014-08-08 06:40:53 | 歴史

(碁盤の裏側。朝日新聞デジタルより引用。)

 碁盤の裏側の中心に四角い溝が掘ってあります。これはなんのためにあるのかご存じですか?4本ある碁盤の足のうち1本だけ抜けるようになっています。それも、いったいなんのためでしょうか?(抜ける足の見えない部分には作者の銘が掘ってあります。)

 一つの伝説ですが、囲碁に勝った方が碁盤の抜ける足を抜いて、その足で負けた方を殴り殺すのだそうです。そして最後に、負けた方の首をはね、その生首を碁盤の裏側の中心に置きます。中心に掘られた溝は、生首から流れる血の血溜めだとのことです。

 勝負とは生きるか死ぬか、という厳しいものだという教えです。

 アメリカは日本に原爆を落として、一挙に何十万人という非戦闘員を殺しました。ほとんど勝っていた戦争を、アメリカは原爆で駄目押ししたのでした。

 このたびの広島の原爆記念日には、キャロライン・ケネディ駐日大使とジョン・ルース元駐日大使が初めて参列しました。ルース元大使は、アメリカにいたまま論評だけしている方がどんなに楽か、と複雑な心境を覗かせています。

 原爆記念日の式典では、毎回そうですがアメリカに対する恨み言は一言も出ませんでした。ニュース報道でも、加害者であるアメリカの「ア」の字も出ませんでした。原爆投下はまるで加害者がいないかのようです。日本への原爆投下は、アメリカの庶民の間では、日本軍の横暴から東南アジアを救ったとか、双方でさらに多くの犠牲者が出るのを防いだということになっています。

 でも、なんと言われようとアメリカに恨み言を言うことはできないんです。アメリカの属国のような扱いをされても、アメリカの都市に韓国の慰安婦像を建てられても(これはアメリカ市民の賛成がなければできないことです)、文句ひとつ言えない。

 これが負けるということです。負けた方は惨めな思いをするしかないのです。戦争とは古来そういうものではないでしょうか?

佐世保の女子高生殺害事件に寄せて(2)--「命は尊い」という教育は有効か?

2014-08-07 07:09:21 | 心理


(破壊される前のバーミヤンの石仏。高野山法徳寺のHPより引用。)

 佐世保市では過去に少年少女による殺人事件があったため、「命は尊い」という教育にことさら力を入れてきました。にもかかわらず、今回の殺人事件です。佐世保市の教育者は途方に暮れているそうです。

 命は尊いという当たり前のことを、しいて学校で教育することは有効かどうか、考えてみましょう。

 人間には破壊衝動があります。平時でも少数の者は破壊を行います。その際、破壊する対象がつまらないものであっては破壊する意味がありません。なるべく大事なものを破壊した方が、破壊衝動を満足させることができます。

 破壊されたバーミヤンの石仏は世界遺産でした。バーミヤンの石仏が、どこにでもあるつまらない石仏だったら、かえって破壊されなかったでしょう。世界遺産に祭り上げられたことが破壊を招いたとさえ言えるでしょう。

 国内のもっと卑近な例で言うと、国宝の寺の壁に落書きされることがあります。落書きの犯人は、それが普通の道路だったり倉庫の壁だったりしたら、落書きをしなかったかもしれません。大事な国宝だから破壊衝動が刺激されて、落書きをしたのではないでしょうか?

 こうした破壊衝動の特徴にかんがみれば、少数の破壊者にとって皆が大切にしているものほど破壊の対象になりやすくなります。

 つまり、学校で「命は尊い」、「命は大切」と教育すればするほど、命は少数の破壊者にとって魅力的な破壊対象になるとは言えないでしょうか?したがって、「命は尊い」という教育は少数の破壊者に対しては逆効果となります。

 以上はかなり強引な説明かも知れません。でも、これらは100%誤まった議論ではなく、一抹の真実が含まれていることを、感じとってはいただけないでしょうか?

佐世保の女子高生殺害事件に寄せて(1)--精神病院とは何か?

2014-08-06 00:44:36 | 社会

 佐世保の事件の加害少女は精神科にかかっていたそうです。精神病院に入院させようという動きもあったようですが、入院は実現しませんでした。

 ここで多くの方は「入院さえさせていれば今回の事件は防げた」と思われたのではないでしょうか?

 ところが私は、メディアの論調から別の感想をもちました。それは、社会の基底には「変な奴は精神病院に閉じ込めてしまえ!」という発想がまだあるのだな、ということです。

 精神病院は患者の治療をする場所であって、収容所ではありません・・・といくら言っても世間は受け入れてくれません。

 近い将来、犯罪を犯すかもしれない人をあらかじめ拘束することを「予防拘禁」と言います。現在の日本では「予防拘禁」はできません。人を殺してみたいと言っている人を、言っているだけで捕まえることは、検察にも警察にもできません。

 検察にも警察にもできないことを精神病院に求める傾向が世の中にあります。でも、繰り返しますが精神病院は収容所でも刑務所でもありません。

 私が精神科医になってから40年、精神病院に対する一般の人の捉え方は、ほんの少ししか変わっていないのだな、と慨嘆するのみです。

※1)最近は「精神病院」と言わずに「精神科病院」と言います。「外科病院」とか「産婦人科病院」と同じだ言いたいからです。

※2)稀有な犯罪だと、実行者イコール精神病という粗雑な図式が描かれます。そういう犯罪を犯す奴はアタマがおかしい。だから、「精神科で診てもらえ」というステロタイプは完全に間違っています。(犯罪者は病気ではありません。)

※3)「心神喪失」で殺人者が無罪になるのはおかしいという考えを、多くの人がもっていることは知っています。ですが、ここでそのことについて論じると、今回の事件の議論と錯綜して誤解を生むだけなので、別の機会に論じます。


データ保存媒体の耐久性

2014-08-05 00:01:27 | 技術

(ニコンF。Camera Fan より引用。)

 上のカメラは私が高校2年の時に買ってもらって、いまだに使用している往年の名機・ニコンFです。もう50年近く使っています。これまで一度も故障したことがありません。

 このカメラをもって歩くと、カメラ好きの人に珍しがられます。もはや、クラシックカメラなのですが、よく写ります。このカメラで撮ったフィルムは必ず銀塩で焼きつけられるので、保存性に信用が置けます。現在のデジカメのインクジェットプリントでは消えてしまう恐れがあります。そのため、まだこのカメラを手放すことができません。

 ところが最近、バカチョンデジカメを使っていて驚きました。デジカメのほうがフィルムカメラよりも解像度が高いのです。解像度とは細かいところまで写るかどうかで、人物の集合写真なら一人一人の顔が、フィルムよりデジカメのほうが鮮明に写るのです。

 これで、とうとう私はニコンFをお蔵にしなくてはなりません。ただ、写真のプリントは、まだインクジェットがどうしても信用できず、デジカメで撮った写真を、私はわざわざ銀塩で現像してもらっています。

 もっとも、ニコンFで撮ったむかしのサービスサイズ(フィルム現像とプリントを同時に頼むと安かった)は、すべて消えてしまいました。だから、デジカメデータを銀塩でプリントしたところで、また消えてしまうかもしれません。

 単純な媒体ほどデータがよく保存されています。紙より木、木より石のほうがよく残ります。江戸時代の紙の本はなくなっても、平安時代の木簡のほうが残っています。石がもっともよく残ることは、ピラミッドの文字を見れば明らかでしょう。

 現在、大量のデジタルデータが保管されていますが、デジタルデータは紙よりもっと残りにくいだろうと、私は考えています。

※今日、気にとまった短歌。

  背を丸め指を丸めて子ら二人見せ合ふ虫も丸まってをり  (三重・大紀)北村保

俳句甲子園

2014-08-04 00:05:28 | 俳句

(松山市での俳句甲子園の模様。47news より引用。)

 大学生のころに私は俳句に興味をもちました。しかし、指導者が身近におらず、それっきりになりました。俳句は当時から老人の趣味と言われていて、俳句クラブは老人ばかりで、若者が入りにくいところがありました。

 私の父母の時代には、大学に俳句部というのがあったのですが、私が学生のころは、俳句部をもっている大学は見当たりませんでした。私の師、故浅野右橘先生は名古屋商科大学(現・名古屋大学経済学部)の俳句部出身です。

 ところが近年、俳句甲子園という催しが行われ、高校生が活発に俳句に挑んでいるようです。俳句甲子園は子規や虚子の地元の松山市で行われます。

 優勝常連校は地元の松山東高校、松山中央高校、それに超有名受験校、東京の開成高校です。参加者たちは、しばしば唸ってしまうような俳句を作るので楽しみです。俳句甲子園が行われるということは、大学でも俳句部が次々と再建されていることでしょう。

 俳句甲子園の優秀作品をひとつ。

    月眩しプールの底に触れてきて  開成高校・佐藤雄志君

 一読してこの句は夜の屋外プールの句だと分かります。季語はプール(夏)です。泳いでいたのか飛び込んだのか、とにかく作者はプールの底に触れて、浮かび上がったら月に出会ったのです。たぶんプールには作者一人しかいなかったのでしょう。類想がない心憎い出来ばえです。

 今後、若い発想の俳句が、どういう刺激を私たちに与えてくれるのか楽しみです。