猛暑の日本を飛び立って2週間、降り立った成田はすっかり秋の気配だった。
ホームステイ先の主人が心臓の手術を受けることになり、帰国を見送った竜太に代わり、
兄の良太がホームステイ先のシアトルを訪れたのだった。
良太が2度目の競馬学校の受験に失敗したとき、変わりに僕が騎手になると言っていたのが、
良太の背を越え大人の体格に変わり、とても競馬学校を受験できるような体つきではなかった。
初めのうちは少しはにかみ気味だった竜太だったが、その表情は大人の男の表情をしていた。
ホームステイ先の内儀と話す英語のそれはネイティブで流暢である。
あの震災がなければ、きっと福島のいち中学生であり、今のような姿を想像だにすることはなかっただろう。
そしてこのアメリカの地で、ハリソン夫妻の傍に寄り添う姿は、本物の肉親以上の信頼と絆を感じ取った。
自身2度の競馬学校の受験不合格は、別の目標の出発点であった。
川崎の山本調教師から地方の競馬学校も薦められたが、競馬という目標を失った良太はその勧めを断った。
といってこれといった目標ができたわけでもなく、神奈川での高校生活をただ過ごすだけだった。
福島から神奈川に移り住み、不要な誹謗や偏見を受けることもあった。
1年のうちは次の受験さえ合格すればという目標があったが、受験が失敗した後は、
その学校生活にも意義を見出せずにいた。
衝撃は突然やってきた。後藤浩輝騎手死亡の知らせだった。
後藤騎手は一つの憧れであった。憧れの喪失感。その死の理由もわからない。
後藤のメッセージは良太を医療の道を選択させた。
その意味では、義母の香良というその道のスペシャリストが傍にいた。
「僕は母さんが亡くなった時の記憶がある。赤ん坊だったけどね。
母さんが僕を守ってくれなかったら、僕もこの世にはいなかった。
そうして与えられた命だから、誰かにも与えたいんだ。生きている幸せを」
成田の風は、良太の受験シーズンが本格したことを告げていた。
*******************************
鮫島兄弟も兄は良太騎手です。
この鮫島兄弟と父克也騎手を交えた親子のJRA初対決が29日のひまわり賞で実現しました。
結果は、兄良太騎手が騎乗したホーザンボントスが11番で6着。
弟克駿騎手が騎乗したテイエムヤマンカミが6番人気で12着。
父克也騎手が騎乗したイザシュツジンは8番人気で14着ですから、今回は鮫島良太騎手がJRAジョッキーとして、
兄としての意地を見せたといえるのではないでしょうか。
これまでも鮫島親子での1、2着争いを見ることができたが、次回は3人での1、2、3着争いを是非見たいものです。
今年から名称を変えた「ワールドオールスタージョッキーズ」は今No1騎手の呼び声の高い、ブラジル出身騎手のシンガポールのトップジョッキーで現在は香港で騎乗している「ジョアン・モレイラ騎手」が、その評判どおり優勝した。
2日間で20鞍7勝、勝率3割5分という高成績を残して去っていった。
次に来た時には絶対に外せない騎手となりました。
パドックを見て2頭がよく見えたら馬券に参加するようにしています。
なかなか馬をみる目も難しいのですが、なんとかうまいことが神が舞い降りてくれました。
ホームステイ先の主人が心臓の手術を受けることになり、帰国を見送った竜太に代わり、
兄の良太がホームステイ先のシアトルを訪れたのだった。
良太が2度目の競馬学校の受験に失敗したとき、変わりに僕が騎手になると言っていたのが、
良太の背を越え大人の体格に変わり、とても競馬学校を受験できるような体つきではなかった。
初めのうちは少しはにかみ気味だった竜太だったが、その表情は大人の男の表情をしていた。
ホームステイ先の内儀と話す英語のそれはネイティブで流暢である。
あの震災がなければ、きっと福島のいち中学生であり、今のような姿を想像だにすることはなかっただろう。
そしてこのアメリカの地で、ハリソン夫妻の傍に寄り添う姿は、本物の肉親以上の信頼と絆を感じ取った。
自身2度の競馬学校の受験不合格は、別の目標の出発点であった。
川崎の山本調教師から地方の競馬学校も薦められたが、競馬という目標を失った良太はその勧めを断った。
といってこれといった目標ができたわけでもなく、神奈川での高校生活をただ過ごすだけだった。
福島から神奈川に移り住み、不要な誹謗や偏見を受けることもあった。
1年のうちは次の受験さえ合格すればという目標があったが、受験が失敗した後は、
その学校生活にも意義を見出せずにいた。
衝撃は突然やってきた。後藤浩輝騎手死亡の知らせだった。
後藤騎手は一つの憧れであった。憧れの喪失感。その死の理由もわからない。
後藤のメッセージは良太を医療の道を選択させた。
その意味では、義母の香良というその道のスペシャリストが傍にいた。
「僕は母さんが亡くなった時の記憶がある。赤ん坊だったけどね。
母さんが僕を守ってくれなかったら、僕もこの世にはいなかった。
そうして与えられた命だから、誰かにも与えたいんだ。生きている幸せを」
成田の風は、良太の受験シーズンが本格したことを告げていた。
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鮫島兄弟も兄は良太騎手です。
この鮫島兄弟と父克也騎手を交えた親子のJRA初対決が29日のひまわり賞で実現しました。
結果は、兄良太騎手が騎乗したホーザンボントスが11番で6着。
弟克駿騎手が騎乗したテイエムヤマンカミが6番人気で12着。
父克也騎手が騎乗したイザシュツジンは8番人気で14着ですから、今回は鮫島良太騎手がJRAジョッキーとして、
兄としての意地を見せたといえるのではないでしょうか。
これまでも鮫島親子での1、2着争いを見ることができたが、次回は3人での1、2、3着争いを是非見たいものです。
今年から名称を変えた「ワールドオールスタージョッキーズ」は今No1騎手の呼び声の高い、ブラジル出身騎手のシンガポールのトップジョッキーで現在は香港で騎乗している「ジョアン・モレイラ騎手」が、その評判どおり優勝した。
2日間で20鞍7勝、勝率3割5分という高成績を残して去っていった。
次に来た時には絶対に外せない騎手となりました。
パドックを見て2頭がよく見えたら馬券に参加するようにしています。
なかなか馬をみる目も難しいのですが、なんとかうまいことが神が舞い降りてくれました。