国民の祝日は、かつて国民の祭日ともよばれていて、私の祖父はその日がやってくるたびに玄関に国旗を掲揚した。記憶では亡くなる直前の10年ほど前まで祖父は家の前に「日の丸」の旗をたてていた。大きくなってからは私も、面白がってよく旗飾りを手伝ったものだった。「右翼」であるとか、そんな政治的な思想とは全く縁遠い祖父だったが、たぶん古い日本人としての慣習として国旗を掲げていたのだろう。
しかしかつては、国分寺でさえそんな家は例外ではなく、歩けば国旗を掲揚している家はたくさんあったし、元旦ともなればどこかしこと「日の丸」が掲げられており、それがハレの日の風景でもあった。
日の丸が政治的問題として扱われ、賛否が議論されてからすでに久しい。そんな議論の中で日の丸を掲揚することがあたかも「政治的行為」と認識されるようになって、多くの家では国旗を掲げることがなくなった。別に私はそうした現実を憂いているわけでもないし、特別な感慨もない。
靖国神社に向かって歩く途中、あるお店の前に国旗が掲揚されているのを久し振りに見た。なんだか無性に懐かしかった。別に国旗に特別な思いがあるからではなく、そんな旗を立て続けた祖父のことを想い、そして子供のころの「祭日の風景」を懐かしく思い出した。国旗は国歌の象徴であるばかりでなく、個々人にとってはそれぞれの記憶の換喩なのだ。
しかしかつては、国分寺でさえそんな家は例外ではなく、歩けば国旗を掲揚している家はたくさんあったし、元旦ともなればどこかしこと「日の丸」が掲げられており、それがハレの日の風景でもあった。
日の丸が政治的問題として扱われ、賛否が議論されてからすでに久しい。そんな議論の中で日の丸を掲揚することがあたかも「政治的行為」と認識されるようになって、多くの家では国旗を掲げることがなくなった。別に私はそうした現実を憂いているわけでもないし、特別な感慨もない。
靖国神社に向かって歩く途中、あるお店の前に国旗が掲揚されているのを久し振りに見た。なんだか無性に懐かしかった。別に国旗に特別な思いがあるからではなく、そんな旗を立て続けた祖父のことを想い、そして子供のころの「祭日の風景」を懐かしく思い出した。国旗は国歌の象徴であるばかりでなく、個々人にとってはそれぞれの記憶の換喩なのだ。