Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

中江有里『結婚写真』

2009年05月27日 | 
 このところ忙しくて小説が読めない。飛行機の移動でも仕事の書類を見たり、打ち合わせの準備、研究室では専門書ばかりで、先月から、古川薫の時代小説とカレル・チャペックの短編集を読んで以降、今月はまだ1冊も読んでいないではないか!「これでは人間としてダメになってしまう」ということにハタと気づき、研究室に持ち込んでいるにもかかわらず読めていない小説を探す。たくさんあるのだが、選んだのは中江有里『結婚写真』。この本、実は出版してすぐ新刊書で買ったのだが、読む前にどこに置いたかわからずに、単行本だったせいか研究室の専門書の中に埋まってしまっていて、先週、約二年ぶりに再会したのである。
 数日かかってこの本を読破。やわらかで心地よい文体でかかれているこの小説は、たぶん著者の性格そのものなんだろうと考えたりする。「結婚」や「母娘」について考えさせられる内容の本であるのだろうが、私はそうした部分よりもむしろ、著者が表現する登場人物のささいな言葉や行動に触れるにつれ、年を重ねるうちに、本当にたくさんのものを人生の途中で落としてきているということに気づかされた。五十歳に近い私が、女子中学生「満」の気持ちを理解することは難しいし、その気持ちになることはもはや不可能なのだが、しかし、そんな気持ちの「存在」までも記憶の中から捨て去ってしまっている自分の不用意さに愕然としてしまったのである。
 小説を読んだからといって「これで人間としてダメにならない」わけではない。しかし少なくても小説を読むことで、専門書の壁からは感じとれない日常のさまざまな出来事を再認識させてくれる。「いつからアイスコーヒーをブラックで飲むようになったのだろう」なんて考えるとワクワクしてしまうし、カキ氷が舌の上で解けていく感覚なんてすっかり忘れてしまっていたのに、なんだかそんな表現を読んだだけで、自分の舌が冷たさでしびれるような感覚を覚えてしまう。不思議と今、背負っている何もかもが、すっかり軽くなったような気分で一日が過ごせそうなのだ。「今日も一日頑張って。そしたら明日がくるからさ」(91頁)という気分。その通りだ。頑張らなくっちゃ明日なんか来ないんだ。僕がこの数日、明日だと思っていた「明日」なんて、偽りの「明日」だったんだ。