Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

海を見て思うこと

2011年04月11日 | 那覇、沖縄

 久しぶりに週末の沖縄にいた。青空が広がる晴天を見て、バイクでちょっとだけ遠出をして、佐敷に出かけた。昨日の気温は、昼ならばTシャツでも過ごせそうな夏日なので、バイク乗りには最高の風を身体いっぱいに感じることができるのだ。30分くらい走ると佐敷の海を一望できる高台に到着する。今回は車では行くことのない路地に入って、静かな道路で眼下に広がる青い海をぼんやりと眺めた。
 今、沖縄の海を見て、「美しい」とか「透明だ」とか、そんな形容詞で表現することに多少の抵抗があるのはいうまでもない。ほんの1カ月前に沖縄の海と続く東日本の海は、凶器と化してあらゆるものを一瞬にして流し去ってしまったという事実は、沖縄にいる人々の脳裏にも深く刻みつけられている。なんだか、海をみながらすっかり悲しくなって「大きなため息」をついてしまう。
 今から66年前、ちょうどこの春の時期、沖縄のこの海はアメリカ軍の軍船によって埋め尽くされたという。その後に沖縄で何が起きたのかを知らない者はいないだろう。今は眠ったように静かな海。自然の「脅威」ではないにしても、戦争という「恐怖」にさらされた沖縄の海もまた、凶器を運び、悲劇をもたらした。
 眼下に広がる沖縄の街と海を眺めながらこう思うのだ。被災地は視覚的には、沖縄のようにいつかは復興するだろう。神戸だって、今や震災を感じさせない街並みが続くではないか?しかし、戦争から66年たった沖縄の人々の心の中には、今なお「悲劇」は記憶として刻みこまれている。ましてや神戸の震災を体験した多くの人々の心の中には、まだまだ深い哀しみが渦巻いているのだろう。そんなことを考えながら沖縄の海を見つめたとき、やりきれない思いで胸がいっぱいになった。