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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

現代美術とジョグジャ

2013年12月26日 | 
 ジョグジャカルタは古都としてインドネシアから多くの観光客がやってくる。今はクリスマスから新年の休日が続く時期で、ものすごい数の観光客がジャワのあちこちからやってきて、マリオボーロ通りは本当にお土産を求めるインドネシア人でいっぱいだ。たいていの観光客はボロブドゥール遺跡とプランバナン寺院に行き、王宮周辺を散策し、マリオボーロ通りで買い物をして帰っていく。お決まりの観光ルート。
 実はそんなジョグジャには現代アートの街という顔がある。1930年代から活動が始まり、今ではインドネシアだけでなくアジア各地で注目されるビエンナーレも開催されるほどだ。音楽、芸能、工芸という伝統を継承する一方で、現代芸術という伝統とはまた違ったベクトルの下でアートが開花しているのである。
 ちょうど今、ビエンナーレが開催されている。現代芸術はたいてい「一般の民衆」からは隔絶されたところにある。ジョグジャもまたそんな気がしてならないのだが、それがいろいろな場面に出会って考え方が変わってきた。まずビデンナーレの会場はどこも無料だ。子どもであれ、そのへんを歩いている街のおじさんやおばさんであれ、物好きの外国人であれ、アーティストであれ、だれもが自由に会場に出入りできる。そういう点で入場料という壁がない。日常と現代アートの敷居がひじょうに低いのである。しかも妙にきどった「アート」が会場や受付の人々に感じられないのだ、
 今日、国立美術館で、小学校低学年であろう裸足の子ども一人に、学芸員(この女性もまたはだし、かつジーパンとTシャツ)が作品を解説している場面に遭遇した。こんなこと日本ではありえない。インスタレーション作品の解説をたぶん会場に迷い込んでしまった近所のたった一人の子どもに学芸員がつきっきりでするだろうか?
 まさにアートマネージメントとは何なのだろうということを考えさせられた。ジョグジャは街だがそこにはまだ貧困という東南アジアの現実が横たわっている。現代アートが「それがわかりたい、わかるふりをしたい一部のアート愛好家」のためにマネージメントされるのであれば、それはジョグジャという地には根付かない。大半の東南アジアにはそぐわないのだ。さまざまな階層の人々が普段着で接することのできる空間、敷居の低さ、それを迎える人々の温かい態度、もちろんそうしたアートへの姿勢をサポートする経済的援助、そんなものがなければどんなにすばらしい作品であれ、それはカギをかけられた部屋にしまわれた宝石にすぎないのだ。
 僕は「なんでこんな村の中に(街から離れた場所に)ビエンナーレの会場があるのか、はじめはわからなかったのだが、今日、二度目の会場めぐりをしながら、色々なことに気付かれた。ジョグジャにおいて現代芸術の在り様は、たぶん日本の場合と少し違っているのだ。これはほんの数日、私がジョグジャに滞在した印象にすぎないかもしれないが、いや、やはり社会との距離、人々との距離が何か違うはずなのだ。