Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

ワヤン・ジョブラルを見て思うこと

2014年08月19日 | ワヤン上演
数日前にワヤン・ジョブラルwayang joblarを見る。このワヤン、ワヤン・チェンブロンと並んで人気のワヤンで、数百人の観客の集客力がある。演奏にはグンデル・ワヤンは使われない。今回はガムラン・アンクルンで、アートセンターのイベントでの上演だった。 創作ワヤンというよりは、イノベーションされたワヤンという方が正確だろう。大きな違いは火ではなく電気を使うことだ。電気のワヤン(ワヤン・リステリック)ともよばれる。
ラマヤナ物語で、すでにラワナが倒されてウィビサナが、祖父のスマリの願いによりランカ国復興のために戻る話。それをよく思わないラワナの残党が、そのウィビサナを亡き者にしようとするのである。ところが、このワヤン、ほとんどバリ語が使われて、カウィ語が用いられるストーリーの本筋にならない。とにかくお笑い一色。本筋10パーセント、お笑い90パーセント。はっきり言って、これ影絵遊び?といいたいくらいな様相を呈してきた。しかもウィビサナが捕まって、さあどうなる?というところで話は終わり。こんな中途半端なワヤンを見たことがない。最後はもう怒りである。
それにしてもそんなワヤンを何百人かのバリの人々は笑いながら楽しそうに見ている。そういう時代なんだろう。もうラマヤナなんてどうでもいいのかもしれない。笑えれば、面白ければいいいんだろう。時代は変わる。それとともに芸能も変わる。変われないのは自分だけだ。