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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

わが家の庭に思う

2015年04月20日 | 家・わたくしごと
 こうして写真をみると、実家の庭が意外に広いことに気が付く。ちょうど若葉が燃ゆる季節柄、柴はあざやかな緑が芽吹き、チューリップが咲いて、西洋シャクナゲは満開である。
 何十年、こうして自分の実家の庭を見つめてきただろう。いつのまにか果実を実らせていた桃の木はなくなり、中学のとき学校からもらってきたイチョウはあまりにも大きくなりすぎて切り、少しずつ庭の木々は変わっているけれど、しかし「庭」は、「庭」のまま40年以上、こうして草花を咲かせ続けているのだ。
 そんな庭より、大きく変わったのは、庭を取り巻く風景だ。庭はいつのまにか、三方を二階建の家々に囲まれてしまった。だから正直なところ、日当たりがものすごいいいわけではない。とはいえ、思い出してみれば、今から40数年前まで、三方の家の周りはすべて雑木林だった。だからやっぱり日当たりはよくなかったのかもしれない。ただ、庭は、林の隙間から木漏れ日を存分に浴びることができていただろうが。
 この庭だけは失いたくないと思う。まだ記憶のない頃からこの庭で遊び、この庭で育った。かつては祖父が、そして今では父が庭師である。いつかは見るだけでは許してもらえない時代が来るのだろう。いやいや、まだまだぼくが庭師になるのは先のことだ。もう少し暖かくなれば、藤棚が薄紫の花々で満開になり、梅雨に入ると紫陽花が太陽の代わりとなって庭を明るくしてくれる。まだしばらくはそんな景色を楽しむ立場を満喫させてもらおう。