Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

六月-Bali Month in 沖縄

2009年05月22日 | 那覇、沖縄
 「六月-Bali Month in 沖縄」なんてコピーを勝手に考えてみました。なぜって6月は本当に演奏やイベントが多いひと月なのです。まだ正式に決定していないものも含めれば7,8件はあるのではないでしょうか?写真は研究室の前に貼ったバリ関係のチラシですが、結構あります。全部「バリ」です。もうバリバリです。
 まずは沖縄県立芸術大学附属研究所で始まるバリのガムランの実践講座。こちらは毎週木曜日の全4回。最後はサークルによる鑑賞会がもれなくついてくるというもの。この附属研究所では、6日に特別公開講座があり、バリの舞踊家チョップリンさんを招いて、お話や彼女の踊りを堪能していただきます。チョップリンさんにトゥルナ・ジャヤを私たちのガムランで踊っていただくだけでなく、ガボール、トペンなど盛りだくさん。
 浦添市美術館ではすでにブログで紹介したバリのワヤンの展示会が約3週間続き、その中で13日には私のワヤンの上演、20日にはバリ舞踊公演、そして27日にはギャラリートーク。それ以外にも大きなショッピングモールなどでの演奏など、本当にバリの芸能が楽しめる一ヶ月。6月の沖縄は梅雨なんて吹き飛ばしちゃうくらいの極楽島(極楽鳥ではない)よ!PKB(バリ芸術祭)なんて行かないで沖縄においで!

高橋是清翁記念公園

2009年05月22日 | 東京
 紀尾井坂を下り、赤坂見附の交差点から青山通りに出る。だいぶ前、このあたりで毎週日曜日に午前、午後とガムランを教えていて、よくこの道を歩いて表参道や渋谷まで大好きな街歩きをした。
 今回の目的は、高橋是清翁記公園である。見附からさほど離れていない場所にあり、となりはカナダ大使館である。そういうと「ああ、あそこか」と思う人もいるだろう。この場所、実は二・二六事件で若手将校に殺害された高橋是清の邸宅のあった場所である。暗殺が行われた建物は、現在、小金井公園の中にある江戸東京たてもの園に移築され、現在もその内部を見ることができる。
 この公園にはまだ邸宅の庭が残されていて、静かな空間。といっても赤坂周辺は緑が多いので、それほど「緑のありがたみ」を感じないのかもしれず、だから意外と素通りされてしまう穴場である。私がいったときもベビーカーに子どもを乗せた若いお母さんたちが、さかんに大きなシャボン玉を膨らませているだけで、その笑い声だけが静かに響いている。
 ここに来てみて思うのだが、青山通りを挟んだまん前は、いわゆる赤坂御所で、すぐ近くは迎賓館である。私は二・二六事件という国家を揺るがす事件が、こんな皇族とゆかりのある場所の近くで行われたことに驚きを隠せない。たしか最後に銃殺される青年将校の何人かは「秩父宮陛下万歳」と叫んだのではなかっただろうか。この事件とは無関係だろうが、秩父宮邸は今、赤坂御所の中にある。
 私はこの事件について書きたいわけではない。ブログの中に幾度か書いたきがするし、授業でもよく学生に話すが、歴史は史資料の中からだけ学ぶものではないということだ。たった一本の石碑や銅像が建っているにすぎない場所からでも学ぶことは山とある。今回、高橋是清翁記念公園に立って、私は当時の人々の驚愕や当時の喧騒がすぐ近くで聞こえてくるようだった。頭でなく、体で理解する歴史、いいじゃないかい。文科系学問も体育会系で学ぶべし。
 
 

紀尾井坂にて

2009年05月21日 | 東京
 大久保利通が紀尾井坂で暗殺されたのは明治11(1878年)年5月14日なので、散歩をした土曜日から131年と2日前である。木戸は病床で、そして西郷は鹿児島で斃れ、一人残った大久保の心境はどんなものだったのだろうと想像してしまう。
 一人残った大久保は、独裁的な政治を行ったとよく言われる。しかし、西南戦争直後、反政府論者の渦巻くなか、彼がとるべき道はやっと方向を定めた明治政府を貫きとおすことしかなかったのだろうと思ったりもする。史実にもとづいた発言ではなく、私の単なる感情的な想像であるのだが。
 紀尾井坂は今、一流ホテルやショップがならぶおしゃれな坂へと変貌した。たぶん、ここを訪れる人々の大半は大久保がこの地で暗殺されたことを知らない。石碑は声を出しては何も語らない・・・。私はそんな石碑が好きなのだ。無理強いをしない。そこに刻まれた文字は、読みたいものだけに語りかけてくれる。しかし本と違うのは、石はそう簡単に朽ちていくことはない。いつまでも、読みたい者だけに歴史を語りかけてくれるものだからだ。


矢が蓮の花に?

2009年05月20日 | 家・わたくしごと
 スタソマ物語では、仏の化身とされるアスティナ国王スタソマに、どんなものが矢を放っても、それはスタソマに届く前に地面に落ちてしまったり、時には蓮の花に変わってしまったりする。
 さて、ワヤンで矢を蓮の花にするにはどうすればいいのか?バリで私が二人にダランに尋ねたところ、どちらも「矢が蓮になったと言えばいい」の一言だった。要するに、観客の聴覚に訴えるだけで、視覚的に矢は蓮に変わらないのである。
 しかし、そこは日本。そして私のワヤンを支え、上演中、私の左右に座る友人の一人は、「バリのやり方ではつまらない」ということで、土曜日の練習に、矢が蓮になるという「スタソマ特製の矢」を試作してきてくれたのだった。それが写真の二本。すごい!すごすぎる!ほんとうに矢の先が蓮の花になったり、矢全体が花になったりするのだ。山形のワヤンでは試作品ではなく、本番用のこの矢を使う予定である。はっきり言って、今回のワヤンの最大の見せ場は、この矢のシーンかもしれないぞ!
 えっ?いつ出るかって?最初か最後かを教えてくれ?いやいや、そんなこと教えられませんよ。最初からじっくり楽しんでくださいな。

久しぶりのメンバーで練習

2009年05月20日 | 東京
 先週の土曜日、東京の仲間と私がガムランで繋がれる大切な場所、音工場OMORIで久しぶりの練習があった。やっぱり、ガムラン・スタジオにはただ顔を出すばかりでなく、そこで仲間の一人として練習させてもらえるというのが嬉しい。
 7月中旬、一年ぶりに山形県の小玉川を訪れてワヤン公演がある。今回は、初めてスタソマ物語の全編を上演する。バリでもほとんど知る人はいない珍しい話。仏教と深く関わりのある内容で、もともと魅かれていた内容だった。ヒンドゥーの話はストーリーとしては面白いが、精神的な部分でどこか共有できていない気がする。
 全体構成をパソコンで入力したペーパーを用意していたのだが、羽田に行く機内でそれを見ながらいろいろ組み立てを考えているうちに、別の構想が浮かんで結局、ペーパーはゴミと化した。しかし、その組み立てはまだボンヤリしたままで、結局、スタジオに行く前の街歩きでもいい案は思い浮かばず。ところが練習のとき、皆に投げかけているうちに「これだ!」という流れを思いついた。あっという間の2時間半・・・。

2009年05月19日 | 大学
 昨日から沖縄は梅雨。あまりにもジメジメしているだけでなく、身の回りで起きているさまざま出来事を見回しながら、正直、気持ちが落ち込むばかりです。そんな今日、暗くなった大学の中庭で一匹の蛍を見ました。大学で蛍が見られるなんて、なんて素敵なことでしょう。そしてたった一つの光なのに、なんと美しく輝いているのでしょう。
 私はまだそんな小さな蛍の輝きで感動できます。それも心から・・・。なんだか、今、それが妙に嬉しいのです。そしてそういう自分に安堵しています。明日も明後日も、蛍がまた見られれば幸せな気持ちになれそうです。そう思うと、梅雨はまんざらでもないのです。

こんな散歩道が

2009年05月19日 | 東京
 水道橋から四谷まで、外濠沿いに散歩道があるのをご存知だろうか?テレビの東京散歩の番組などでは見たことがあったのだが、歩くのは今回が始めてである。なんといっても数十年乗り続けた中央線沿いの道、電車からはまったく見えないために歩いてみると本当にこんな道があったのかと驚きである。
 このあたりの外濠は市ヶ谷の先で埋められている。今回は歩きながらそんな様子を楽しもうと決めていた。本などによれば関東大震災や戦後の空襲の瓦礫を片付けるために何度か埋め立てが行われたらしい。実際に土手の上から見てみると、電車に乗っただけではわからないそんな様子がよくわかる。
 自分がよく乗り降りしていた四谷駅がちょうど谷の底にあるように思えたが、考えてみれば濠の底である。そんなことも、今の今まで考えたことはなかった。視点を変えることで見える発見である。ちなみにこのあたりの真田濠(四谷濠)は、上智大学のグランドを作るために戦後、埋め立てられたのだという。昭和20年、30年代にはまだまだ私の知らない濠が東京にはたくさんあったのだと思うと、そんな風景を見ることができなかったことが残念でならない。

カトリック神田教会

2009年05月17日 | 東京
 土曜日は練習のある夕方まで時間があったので、また行きたかった場所を歩くことにした。2週間ぶりの東京街歩きの再開である。とにかく私は歩くのが好きだ。だから気候がよければ4,5時間は歩いてもへっちゃらである。
 今回も出発点は御茶ノ水。ここでいくつか用を済ませた後、ニコライ堂附近から新宿に向かって出発。行きたい場所はいくつか決めていて、今回は外堀沿いを歩いて、途中から紀尾井坂を通り、赤坂見附から青山通り、そして明治通りを新宿へと向かうコースである。 
 いつもは表通りを歩く道は必ず一本裏を歩くようにした。そして、水道橋駅へ向かう途中で発見したのがカトリック神田教会である。文化庁の登録有形文化財に指定されている聖堂は、外見からだけでも十分に歴史を感じるだけの趣があるのだが、ここは自由に内部を見学できるようになっている。
 一人歩きの楽しみはなんといってもこうした場所へ自由に立ち寄れること。ぶらりと内部に入ると、まさに「荘厳なsolemn」という形容詞がぴったりの神聖な空間である。管理人らしき人も誰もいない。シーンと静まりかえっている。ライデンの聖ピータース教会を一人で訪れて、その静けさに感動したことを思い出した。
 祭壇の前に向かって歩く。私の足跡だけが聖堂に響きわたる。そのとき、私は何列も設置されている木製の椅子に一人の女性がいることに気がついた。その女性は硬く両手を結び、膝を低い台において、ただ祭壇に向かって一身に祈り続けているのである。たぶん私の存在には全く気づいていない・・・。
 この光景に触れたとき、なぜか体の中からある種の感動が沸き起こり、それは全身を熱くしていった。形式化され、慣習化された儀礼とは異なる個人の祈りは、信仰とは何かという問題を私に突きつけてくる。

電車の人身事故

2009年05月16日 | 東京
 新宿から品川に行こうと思いきや、東京駅で人身があって山手線は全線不通だという。たまに東京に来たらこんな事態に巻き込まれ本当に運が悪い。今回ばかりでなく、東京では頻繁に人身事故や架線故障に遭遇する気がする。
 人間は自分とって都合のよかったことは忘れてしまうが、不幸な出来事はいつまでも記憶に残るという。もしかするとこの電車の不通もそんなものなのかもしれない。考えてもみればそれほど頻繁に電車が止まるわけがない。
 それにしても、「申し訳ありません」を連発する構内放送と車掌のアナウンスがあまりにも痛々しい。人身事故ならば乗客にだって責任があるかもしれないし、状況説明をしっかりすればいいのであって、そんなに謝らなくてもいいと思うのだけど。それとも日本人の「申し訳ありません」と「すみません」は、別に「謝罪」表現ではないのかもね。

まだ咲いています

2009年05月15日 | 家・わたくしごと
 先週の母の日、息子が塾帰りにカーネーションの小さな花束を買ってきた。彼は何年か前から、自分の貯めたお小遣いで花束を買ってくるようになったのだが、まだ小学校5年生くらいのときは花の種類を理解できずに、仏壇用の菊の花を買ってきたりしていた。笑いたいのをぐっと我慢していたかみさんを思い出す。しかし花は花である。
 もう今日は金曜日だから5日たったわけだが、今なお元気に咲いているカーネーションを見ると、また今年も電話をしただけの自分が少々なさけない。母は「覚えてくれているだけでいいのよ」なんて言ってはくれていたのだが・・・。
 美しい花も時がくれば枯れてなくなってしまうけれど、そんな花束をたくさんの人々にプレゼントする優しさを息子にはずっと持ち続けてもらいたいと思う。