Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

わが家の桜

2011年04月19日 | 家・わたくしごと
 沖縄の家で育ててきた鉢植えの桜が咲いた。ソメイヨシノではなく、ヤエザクラのようだが、これは沖縄で1月に咲くヒカンザクラではない。つまり本土で咲くようなサクラがわが家の玄関で花開いたわけである。
 春にサクラが見れない地域の人々にとって、サクラの花はその数ではない。淡い桜色の花が一輪でも二輪でも枝についていさえすれば、それで花見を十分楽しむことができ、春の体験に満足するのだ。4月には満開のサクラが咲く公園を訪れることのできる人々にはちょっぴり実感がわかないかもしれないけれど。

今年も満開

2011年04月18日 | 東京

 東京の実家の庭は今年も春の花で満開。特に色とりどりのチューリップは150球もあるという。それだけではなく、西洋シャクナゲをはじめ、1年でもっとも色とりどりの花を庭で見ることのできる季節だ。ガムランの練習に来たメンバーたちもこんな季節の庭に遭遇して喜んでくれた。
  美しく花を咲かすためには日々の世話が必要だ。植えるだけでなく、草抜き、肥料入れ、水撒き、特には害虫駆除など、いろいろな作業を欠かさず続けなくてはならない。毎日、庭の手入れを続けている父には脱帽である。この後、庭はにはフジ、アジサイと青や紫の花が続く。実家に戻る楽しみが増える季節が到来。
 二年前、フジの季節の庭の写真をテーマにしたブログの文章があるので、リンクをはっておこう。
 
 


桜は散り際が……

2011年04月17日 | 東京

 桜は散り際が美しいという人がいる。春の暖かな日差しの中に桜の花びらがひらひらと舞い散る様は、はかなくもあり、美しくもある。
 ぼくがこの週末に東京で見た桜は、そんな時期の桜だった。二週間前に東京を訪れたときはつぼみだった桜の花は、私が沖縄にいた先週の週末に満開を迎えたのだが、つい数日前の花嵐ですっかり散ってしまったのだった。だからぼくは、今年の桜の盛りを自分の目で味わうことができなかったのだ。
 散りかけた桜の花を見てこんなことを考えた。桜の散り際を美しく思える人は、桜の花の盛りを思う存分楽しんだに違いない。満開の花と散り際の花の両方を味わった者の贅沢なのだ。散り際しか目にできなかったものにとって、やはりそんな桜は寂しく、切なく見えるものである。


Don't Forget

2011年04月14日 | 家・わたくしごと

 昨晩からトイレの前に「検尿」と大きく書かれた紙が貼られていた。それにしてもあまりにも大きい字で、帰宅して遅い夕食をとろうとする私にはかなり強烈な「二文字」だった。
 息子の健康診断のために翌朝、検尿をして学校に容器を持っていかなくてはならないことから、備忘のために貼られた紙なのだが、すでにこれだけ大きく書いた時点で忘れないのではないかと思うほどである。明け方にボケボケでトイレに行くと、再び、この張り紙に再会。なんだか、その瞬間にシャキッと目が覚めてしまう。そして今朝、息子を起こすときに私は、「起きなさい」のかわりに、「検尿しなさい」と言っていたのだった。
 とりあえず、すべてが終わってこの張り紙は、たぶん剥がされたはずだが(自分が貼ったわけではないので、私は剥がさなかった)、正直、やれやれである。


父のお気に入り

2011年04月13日 | 家・わたくしごと

 今、私の父がお気に入りの飴が、写真の「黒糖のどあめ」。沖縄にある「竹製菓」がつくるお菓子である。この企業は、沖縄で地元密着型の飴を作っており、大手のスーパーなどにも「竹製菓」の飴が結構並んでいる。
 ちなみに「黒糖のどあめ」は結構いける。黒糖だけだと甘すぎて、なんとなく甘さでむせるような感じがあるが、この飴にはそうした後味はなく、のど飴らしく、すっきりした感覚が残る。
 父は70歳をすぎてタバコをやめたあと、たぶん口寂しくなったのだろう。ガムを食べたりしていたが、とうとうこのお菓子に出会ったといういうわけだ。そろそろ実家のストックがなくなるようで、「今度、東京に来るときに買ってきて欲しい」という要望にこたえて、今回、購入したのがこの量である。
 沖縄には多くの観光客がやってくるわけだが、沖縄企業がつくるこの「黒糖のどあめ」は是非、みやげ物におすすめである。あるいは、レンタカーを運転しながら「なめる」と「沖縄に来た!」という感覚になること間違いなしである。とはいえ、どのお土産屋にも並ぶような飴ではないので、ぜひ、自分の足で探していただきたい。


清明祭の季節

2011年04月12日 | 那覇、沖縄

 沖縄は今、清明祭の季節です。墓所の前に親族が集まり行なわれる儀礼で、沖縄の方々は土日は大忙しでしょう。息子のテニスの練習も、清明祭を理由に何人かが欠席したそうです。
 昨日、道を歩いていたら面白い光景に出会いました。山の斜面に空いた複数の穴。これは沖縄の墓地のあとです。現在はだいぶかわりましたが、従来の沖縄の墓地は、本土の墓地とは違い、横穴式であることが多いのです。
 宅地造成で近年、大型の墓が次々になくなり移転を余儀なくされています。写真の界隈もたぶん100以上の大きな墓が姿を変えて宅地に変わり、数年後にはマンションが立ち並ぶのでしょう。
 ふと墓はどこ移されたんだろうと思いました。清明祭の季節でなければそんなことを考えたりしなかったのでしょうが、墓所の前での親族たちの賑わいが消え、横穴だけが残り、緑色の樹脂で固められた造成途中の斜面が、通る人々に何かを訴えかけているような気がして、つい立ち止まってしまったのです。一生懸命、その声に耳を傾けたのですが、結局、たまに通る車の音や気まぐれな風のざわめきに消されて、何も聴き取ることができなかったのが、心残りです。


海を見て思うこと

2011年04月11日 | 那覇、沖縄

 久しぶりに週末の沖縄にいた。青空が広がる晴天を見て、バイクでちょっとだけ遠出をして、佐敷に出かけた。昨日の気温は、昼ならばTシャツでも過ごせそうな夏日なので、バイク乗りには最高の風を身体いっぱいに感じることができるのだ。30分くらい走ると佐敷の海を一望できる高台に到着する。今回は車では行くことのない路地に入って、静かな道路で眼下に広がる青い海をぼんやりと眺めた。
 今、沖縄の海を見て、「美しい」とか「透明だ」とか、そんな形容詞で表現することに多少の抵抗があるのはいうまでもない。ほんの1カ月前に沖縄の海と続く東日本の海は、凶器と化してあらゆるものを一瞬にして流し去ってしまったという事実は、沖縄にいる人々の脳裏にも深く刻みつけられている。なんだか、海をみながらすっかり悲しくなって「大きなため息」をついてしまう。
 今から66年前、ちょうどこの春の時期、沖縄のこの海はアメリカ軍の軍船によって埋め尽くされたという。その後に沖縄で何が起きたのかを知らない者はいないだろう。今は眠ったように静かな海。自然の「脅威」ではないにしても、戦争という「恐怖」にさらされた沖縄の海もまた、凶器を運び、悲劇をもたらした。
 眼下に広がる沖縄の街と海を眺めながらこう思うのだ。被災地は視覚的には、沖縄のようにいつかは復興するだろう。神戸だって、今や震災を感じさせない街並みが続くではないか?しかし、戦争から66年たった沖縄の人々の心の中には、今なお「悲劇」は記憶として刻みこまれている。ましてや神戸の震災を体験した多くの人々の心の中には、まだまだ深い哀しみが渦巻いているのだろう。そんなことを考えながら沖縄の海を見つめたとき、やりきれない思いで胸がいっぱいになった。
 
  


ぐりとぐらに登場するうさぎさん

2011年04月10日 | エッグカップ

 今週、手に入れたエッグカップです。ぐりとぐらの絵本の中に何度か登場する「うさぎさん」のようです。
 うさぎさんが登場するぐりとぐらでよく覚えているのが、『ぐりとぐらとすみれちゃん』。野ねずみのぐりとぐらが、突然やってきた人間の女の子のすみれちゃんと大きなかぼちゃで料理をする話です。大きなかぼちゃが割れると、たくさんのどうぶつが集まってきますが、その中に、かわいいうさぎが何匹をいて、皆でかぼちゃの料理を野原で作って食べるのです。
 そのときの歌が、
 ぼくらの なまえは ぐりと ぐら
 せかいで いちばん すきなのは
 おりょうりすること たべること
 ぐり ぐら ぐり ぐら
 完全に記憶しています。
 ということで、ちょっぴり野原の雰囲気を出すために、家の鉢植えの花のうえにやさしくエッグカップを置いて撮影してみました。
 
 


ワンちゃんもこっち向いてよ

2011年04月09日 | ヨーロッパ

 オランダに多いタイプの自転車です。前に大きな台車がついて、そこに子どもが乗るタイプ。このタイプだとふつう二人の子どもが乗っていることが多いのですが、この場合は、ベビーカーと犬。この犬を振り向かせるためにいくつかの方法を試みたのですが、全く無視されました。
 実は犬が見ている方向には、資源ごみと粗大ごみが捨ててあるのですが、なぜか、まだ使えそうなものがたくさん捨ててあって、それを近所の人が物色しています。日本だと公然とは見られない光景かもしれませんが、ヨーロッパでは場所によっては案外あるようです(と私の友人たちが言っていました)。でも、そこに食べ物はなかったのですが、どうして犬はそんな光景を眺めていたんでしょう?


My Birthday

2011年04月08日 | 家・わたくしごと

  ポカポカの小春日和の金曜日、今日は私の40代最後の誕生日である。沖縄に来たときはまだ30代後半だったことを考えると月日が経つのはほんとうに早いもの。
 この歳になると誕生日に何ら感慨も喜びもないのだが、来年の今日、輝きに満ちた50代が迎えられるように、49歳になったこの1年を精一杯生きようと思う。