議会が終わったら、日本の農業の現場を見ようと思って、農村部に行きました。
2泊3日の短い旅程でしたが、根っこは同じなのが見えてきて、やっぱりと思う反面、東京の方が良くするチャンスは大きいかもしれないと思いました。
便利な社会に生きていて、自分の食べるものの一部くらい、自分で作れるようになりたいと、いつも思っています。
簡単でないことは分かっていますが、そんなあこがれもあって、知り合いの農家さんを訪ねて農村部に行きました。
高齢化で担い手がただでさえ少ないのに、
米の買取価格は安くなり、
ここへきて、大規模化、だそうです。
畔みちを取り払って、1枚の田んぼを大きくしています。
*一枚の田んぼが広くなった水田
大規模に整備された田んぼを見せていただいたら、白鳥が群れになっていました。
ミレーの落穂ひろいの白鳥版です。
景色は美しいけれど、
水路が見えません。
埋設して暗渠にしてしまっているのだそうです。
東京の川が暗渠になっているのと同じです。
落ち葉などで水路がつまらなくて良いと聞きました。
カエルやザリガニやトンボなどはどうやって生きていくのかと思ったら
もう、そういう田んぼには、暗渠にする前から小動物などは(ほぼ)いないそうです。
農薬です。
しかも、大規模化すれば、バラ色かと言えば、そうでもないそうです。
大規模化しても、
耕作する重機は高いし、
米の買取単価は安いしで、
続けられる人も少ないそうです。
なんとか、やっていけるのは、土建屋さんなどではないか?
それでも、続くかどうかわからない
と聞きました。
どうしてかと尋ねたら、農閑期は、土木の仕事ができるから
と言われて、
冬に出稼ぎに東京に来ていた、かつての農村を思い出し
なるほど、と思いました。
いま、日本は、主食の米を作っても、農家が1年を通じ生きていけない価格でしか、売ることが出来ないそうです。
農村部で暮らす人たちは、
生きるために、選択肢を狭められ、そこから選ばされて生きている、という印象を受けました。
行政は、
そこに、補助金をつけ、そこしか選べないよう、誘導していきます。
東京で起きていることと根っこは同じだと思いますが、
地方は人口が少ない分、利害関係者が見えますし、
割合的に、より多くの人たちが、その仕組みの中で生きているので、
問題を政治的に指摘するのが
難しいのかもしれない、と感じました。
東京の方が、良くする可能性があるのかもしれません。
おいしい日本のお米を食べられなくなる日は、もうすぐそこに来ています。
美しい田んぼと美味しいお米は
日本で、作れるのに、
国は、農家さんへの買取価格を上げようとはしません。
国は、遠い、海の向こうから、日本より安いから、という理由で、
防カビ剤をかけなければ、運べない米を輸入しようとしているのでしょうか。
それとも、カビ無いように、飛行機で運ぶのでしょうか。
日本にお米を売る人たちは
日本でお米を作れなくなったら、値をつり上げ、売りはじめるでしょう。
その時、国は、「米が高ければ、パンを食べればよい」というのでしょうか。
マリーアントワネットが、パンが無ければお菓子を食べればいいと言ったように。
農業を食を自然体系を守るためにも、グローバル化にNOと言い続けます。