いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

避けては通れない。  gentle and easy death

2009-12-22 20:27:42 | 日記
 人間の最後を自然にどう迎えるか。理想郷(paradise)の中でしか見ることができ
ない、無意識(意識不明)の中での世界だ。
 末期患者(7人)の人工呼吸器を外した医師が殺人罪に問われた事件で、地方検
察局は容疑不十分として不起訴とした。
 末期患者は、いづれも余命2時間~数日間と診断されて、回復は不能だったと考
えられていた。

 医療、医師は、いかなる延命のためにも最善の治療行為に最後まで責任を持つこ
とが求められている。医療、医師に、専門的とはいえ治療、延命行為の有無に独自
の個別的な基準、判断、主張を認めることになれば、生命存続、尊重という人間の
尊厳、倫理、哲学を根底から否定する不作為(治療行為の中止)を容認することに
なり、それはまた医療制度の否定、不信任と、犯罪性容認を生むことになるからだ


 自らの死を自らが容認、決断したとしても、医学的に可能な限り延命治療に責任
を持つのが医療、医師の責務とみなされ、患者本人に意思表示不能の場合で患者
家族の同意があったとしても、同じことだった。
 過去からも、診察、治療にたずさわってきた医療関係者の延命治療行為の中止
による、不作為の死が裁かれてきた。

 安易に、安楽死を容認すれば医療、医師の治療行為に延命の自決権を与えるこ
とにもなり、法的整備もされてこなかった。
 安楽死(gentle and easy death)とは、生命を不作為(延命治療行為の中止)
で絶つことであり、これを容認することは殺人を特例として認めることになり、国民
の総意の理解を前提としなければ、社会規範のあり方に混乱を招く。

 今回、人工呼吸器を取り外した医師の行為が、そもそもの余命との因果関係が
なかったとの地検の判断。余命、安楽死、患者・家族の苦痛・気持ち、医療、医師
の倫理すべての不作為を咀嚼(そしゃく:理解分析)するなら、不起訴処分しかな
かった。
 意識不明の患者の気管内チューブを抜き、弛緩剤を投与して死なせた医師は殺
人罪として有罪判決がでている。

 高年令化社会をむかえる。安楽死の理論、倫理、医療、医師とのかかわりにつ
いて、細心で緻密な法的整備も視野にいれて、多角的に議論を深めていいのでは
ないか。それが、複数面からの「誤り」を防ぎ、死を非劇としない方法論だ。

 医師の言う「見るに見かねる」とは、どういう場合を言うのか。「そうだ」と「そうで
ない」との識別(ボーダーライン)はどこにあるのか。それを認めることが、どこに波
及するのか。医師の使命の範囲とはどこまでか。

 生命の尊厳という重い課題に直面する。避けては通れない。 
 

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