日本に限って言えば、プライバシーが尊重されて、社会共有性(共有果実)より
は個人の果実(成果)の追求が優先されて、それは家族の基盤整備よりもプライ
オウリティ(priority)が高い。
極端に言えば、個人の生活では、自己は浮遊した魂としてアイディンティティ
(存在意義)を必要とせず、社会資本の活動、共同体(企業、組織、仲間)の中で
しか個人の存在を感じない、必要としない生き方だ。
自己満足の生活に見合った収入を必要として、その責任、負担を個人の生活の
中にではなくて、社会資本の環境整備に求める。
地球気候変動問題を討議する国連会議(COP15)が、先進国・新興国と発展途上
国との思惑(現実の直接問題と経済発展の間接問題)違いの平行線のまま、二酸
化炭素削減数値目標も自主申告の、拘束力のない政治合意で終了した。
一貫して論議されてきたのは、削減「数値」目標。安定不況の時代に経済発展の
原動力(motive power)を求める先進国・新興国と地球温暖化が現実の問題として
生活に直面する発展途上国との思惑、社会基盤の違いの溝が埋まらない。
削減数値目標の基準(気温2度減少)だけでも、それでは現実問題として未来図
が描けない国もあり、また削減数値目標がそのまま実行される約束、計画、具体的
方法もなく、その保障もない。
これをマネーのやりとりでつじつまを合わせるという、本質を踏み外した合理性
は、環境アメニティ、気候変動解決論の本質とはかけ離れて、現実に直面する国で
は理解できない。
日本でも、条件付きで削減数値目標25%を打ち立てているが、現実には都市部
では二酸化炭素排出量はむしろ増加カーブを描いている。不況のあおりを受けて、
経済界からは削減数値目標に反発の声も出て、国民の結束もおぼつかない。
削減目標を考えるときには、数値の示す意欲は具体的で、重要な意思表示となる
。
現実の問題として、地球気候変動問題の本質を考える時には、削減数値目標の
実現力、現実的な実行計画が基本となる。数値目標の高さは歓迎するが、これが
希望的観測ではなく、またマネーでのつじつま合わせの手段ではない、現実の問
題解決のために実行される保障は、今のところ、現状分析から限りなくゼロに近い。
限りなくゼロに近い数値目標の議論に終始している国際社会は、現実の問題とし
て直面する国の声に誠実に応えるべきだ。
経済発展のために合わせた地球環境の可能な破壊程度ではなく、地球環境の
アメニティ維持のために合わせた経済力の整備だ。
市民ひとりひとりが、自己満足の生活に合わせた収入ではなく、収入に合わせ
た生活へのリプレースメント(replacement)が、まずは求められる。
は個人の果実(成果)の追求が優先されて、それは家族の基盤整備よりもプライ
オウリティ(priority)が高い。
極端に言えば、個人の生活では、自己は浮遊した魂としてアイディンティティ
(存在意義)を必要とせず、社会資本の活動、共同体(企業、組織、仲間)の中で
しか個人の存在を感じない、必要としない生き方だ。
自己満足の生活に見合った収入を必要として、その責任、負担を個人の生活の
中にではなくて、社会資本の環境整備に求める。
地球気候変動問題を討議する国連会議(COP15)が、先進国・新興国と発展途上
国との思惑(現実の直接問題と経済発展の間接問題)違いの平行線のまま、二酸
化炭素削減数値目標も自主申告の、拘束力のない政治合意で終了した。
一貫して論議されてきたのは、削減「数値」目標。安定不況の時代に経済発展の
原動力(motive power)を求める先進国・新興国と地球温暖化が現実の問題として
生活に直面する発展途上国との思惑、社会基盤の違いの溝が埋まらない。
削減数値目標の基準(気温2度減少)だけでも、それでは現実問題として未来図
が描けない国もあり、また削減数値目標がそのまま実行される約束、計画、具体的
方法もなく、その保障もない。
これをマネーのやりとりでつじつまを合わせるという、本質を踏み外した合理性
は、環境アメニティ、気候変動解決論の本質とはかけ離れて、現実に直面する国で
は理解できない。
日本でも、条件付きで削減数値目標25%を打ち立てているが、現実には都市部
では二酸化炭素排出量はむしろ増加カーブを描いている。不況のあおりを受けて、
経済界からは削減数値目標に反発の声も出て、国民の結束もおぼつかない。
削減目標を考えるときには、数値の示す意欲は具体的で、重要な意思表示となる
。
現実の問題として、地球気候変動問題の本質を考える時には、削減数値目標の
実現力、現実的な実行計画が基本となる。数値目標の高さは歓迎するが、これが
希望的観測ではなく、またマネーでのつじつま合わせの手段ではない、現実の問
題解決のために実行される保障は、今のところ、現状分析から限りなくゼロに近い。
限りなくゼロに近い数値目標の議論に終始している国際社会は、現実の問題とし
て直面する国の声に誠実に応えるべきだ。
経済発展のために合わせた地球環境の可能な破壊程度ではなく、地球環境の
アメニティ維持のために合わせた経済力の整備だ。
市民ひとりひとりが、自己満足の生活に合わせた収入ではなく、収入に合わせ
た生活へのリプレースメント(replacement)が、まずは求められる。