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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

法廷からのメッセージ。  message from a court

2010-06-17 20:03:45 | 日記
 (1)国家権力に膨大な力を与えれば、まぎれもなく専制国家(absolute goverment)とな
る。権力の分散が機能しなければ、国家としての一体性を欠く。国家権力、統治機能(能力)
というのは、制度としては二律背反するものだ。
 治安が悪いと言われて、みだりに警察権力を高めれば、国民の自由や平和、意思が意図的
に束縛される。不自由社会を招く。

 少々、社会生活が不自由になっても、治安の回復、維持は大切だという考えもある。テロの
標的となる国家では、街中が、交通機関が24時間体制の映像システムで監視(vigil watch)
されている。日本も一部、都市の繁華街などでカメラ監視システムが導入されている。

 (2)近年目立つ家族間での殺傷事件、自然の摂理の「子育て」が抜けた現代親子関係の悲劇
だ。毎日、メディアではひったくりや盗難車、不審車両のかかわる事件が報道され、意図、意味
不明の殺傷事件も目にする。

 (3)事件を裁く法廷(court)では、意思、目的、行為、展開、反省を総合的に審理し、判例にもと
づいて公平で公正な判断(判決)を示す。
 殺意について、計画的であったかどうかの悪意性、結果として(成り行き、偶然で)そういう結末
に至った情状(酌量)性とか判決内容でよく聞くことがある。
 被疑者の生い立ちとか恵まれない生活環境が考慮されての、生涯社会性を基準にする「もの
わかりのいい」法廷からのメッセージが特徴だ。
 人間の「過ち(fault)」を最大限回復できる配慮の方向としては、間違っていない。

 命を絶った人(被害者)以上に、生きながらえている被疑者(加害者)の社会復帰(更生)の可
能性を探す作業は、生涯社会性からは無意味ではない。

 (4)基準として考えるならば、殺意が計画的であったか、成り行き、偶然であったかの現象は、
人命を奪うという悲劇の「ボーダーライン」以上のものであって、それ以外の何物でもないはずだ。
 反社会的行為のボーダーライン以上の範囲の中にある、「意図」の有無にすぎない。

 (5)法律は当然、制裁主義(sanctionism)をことさら排除するものではあるが、近年の法廷の
社会へ発信する「ものわかりのよすぎる」メッセージには、世論の社会正義への無関心、希薄さ
をむやみに助長し、犯罪への罪悪感を一部人間にマヒさせている社会現象になってあらわれて
いるのではないのか。

 (6)かと言って、監視国家のように制裁(sanction)、厳罰主義の権力で社会悪を封じ込めるの
が平和で幸福と言うわけではない国家機能のむづかしさがあり、しかし、ものわかりのいい法廷
からの社会メッセージが、治安の回復に効果的に働いていないのではないか。

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