いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

名誉と地位と経済効果。(大相撲) honor , economic efficacy

2011-02-03 20:01:41 | 日記
 (1)大相撲も将棋と同じように関係者には日本文化と考えられてきているので、勝負以前
に「型」を重んじて「かばい手」が認められて勝負に「ダメ」を押さないとか、勝負の先行きが
見える時には負けを認める「いさぎよさ」が礼節として重んじられて、決着直前には力を抜い
たり相手を押し止めたりするのがとるべき暗黙の礼儀、型となっている。

 ①大相撲も日本文化の「型」の継承の中で、「勝負」が無形の「名誉(honor)」として讃え
られる内では、真剣勝負、多彩な技も他とは区別した「比較能力」として鍛錬、修練の対象
となる。「型」、文化だけを持続する鍛錬、修練には、相当の高い精神力、人間力はいる。

 ②「勝負」が昇進にかかわり高額な報酬に直結して、大相撲の世界のように社会のパラ
ダイム(paradigm)とは大きく離反する経済効果(economic efficacy)を持つ要因となると、
「ふたり」だけで取組む「勝負」の型という環境の中では余程の使命感、目的意識を持つ精
神力、自制心の高い(いわゆる「できた」)人間でないと、「勝負」、真剣勝負へのこだわり
にばかり執着する高い精神力を持続することはむづかしいのが普遍的な問題だ。

 真剣勝負への期待とは別に、「ふたり」だけの取組みの型の間では相互にどうにでも作
為できる自然の社会環境がある。それが大相撲の世界の「仕組み」の「型」のむづかしさ
だ。

 (2)大相撲も日本文化の継承を謳(うた)いながら、経済成長期の動力(motive power)
を受けた娯楽としてのスポーツ興隆時代の中で、メディア(NHK)の協力もあって国民的人
気スポーツとしての定着、発展を一時代続けて、日本文化とは一線を画する存在となって
きた歴史もある。

 特に、近代化により後継者、人材不足の解消として大相撲を外国人に開放した時から、
大相撲は「日本文化」から国民的人気「スポーツ」へと大きく方向を自ら転換していた。
 この時点で大相撲を「国技」と呼ぶには、「仕組み」全体があまりにも「変質」していたの
に、その変革への対応、整合性に的確に取組まずにその後の大相撲界はやたらすでに
異質の「日本文化」、「国技」に拘束されて、振り回されての不祥事の後始末に追われる
ことになった。

 (3)たとえば「日本文化」の継承を、スポーツの国際化に合わせて外国人に門戸を開放
して、革新的な日本相撲協会の対応には見るべき識見はあった。
 この時点で大相撲を「日本文化」とは一線を画した(実際、この時に一線を画していた)
国民スポーツとしての「仕組み」でスタートしていたら、今までの多くの問題は乗り越えら
れたと思える。
 この責任は、日本相撲協会だけのものではなくて、監督指導する文科省の責任、管理
能力の問題でもある。

 (4)昨年6月の暴力組織と力士の野球賭博問題の前の4、5月にかけて、かなり広範に
渡る力士の八百長疑惑が発覚した。
 概念における「日本文化」と「スポーツ」、勝負における「名誉」と「昇進による経済効果」
の間で起こるべきして起きた八百長疑惑だ。
 問題と責任は、一義的には日本相撲協会の管理能力にあるが、文科省の監督責任も
大きい問題だ。

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