私的な財津和夫論の第9回は、「かいさん」です。
9 かいさん(dissolved)
(1)ポール・マッカートニーが09年にニューヨークのシティーフィールドで行ったコンサ
ートで「get back」、「back in the USSR」などビートルズナンバーをビートルズ時代と同
じアレンジで演奏していたライヴ音を聞いた。
まるでビートルズのライヴ音かと聞き間違えるほどのビートルズアレンジそのものだっ
た。
ビートルズはレノン・マッカートニーが核となって結成されたバンドであるが、その後の
世界の音楽シーンと文化、社会を席巻するビートルズ旋風の中で4人がそれぞれの個
性を発揮して存在感を示していき、レノンはスタジオワークのみになったビートルズ活動
に見切りをつけて、他のメンバーから早々にビートルズを離れていった。
レノン・マッカートニーが核となったビートルズで、その一方のレノンがビートルズを離
脱して必然的にビートルズは自然解散の道を進むことになる。
ビートルズの4人の中で最もビートルズに強いこだわりを持つと言われたマッカートニ
ーは、レノンのいないビートルズをどんな手段でも再現、継続することは想いもよらない
ことで、だから今「サウンド」としてビートルズをニューヨークシティーフィールドでのコンサ
ートでビートルズをそっくり再現してみせて、ビートルズへの特別の思いを再現してみせ
た。
(2)そのビートルズに強い影響を受けて財津和夫さんが核となって72年にチューリップ
を結成し、日本語を洋楽旋律(melody)に見事にマッチングさせたニューミュージックの先
駆者(pioneer)と言われるチューリップサウンドを創り出したコンポーザー財津和夫さん
は、85年に財津さん以外のオリジナルメンバーがすべてチューリップを離脱した後も若い
ミュージシャンをメンバーに入れて89年まで18年間チューリップ活動を継続した。
チューリップは財津和夫さんが核となってビートルズのような革新的なサウンド志向を目
指して、福岡で活動するアマチュアミュージシャンの中からこれはと思うメンバーをひとり
ひとり集めて結成された。
だから財津さんのチューリップに賭ける思いは5倍も強く格別で、財津さん以外のオリジ
ナルメンバーが去ってもビートルズの核心事情とは異なってチューリップを継続することを
選択した。
財津和夫さんは、チューリップの先駆的な実質のプロデューサーでもあった。84年まで
の間にチューリップとして鈴蘭(2回)、田園コロシアム、よみうりランド、芦ノ湖と野外イベ
ントコンサートを時代に先駆けて開催し、10年で1000回を超えるコンサートを行って、財
津さんを核としたチューリップは時代と一応の音楽活動の目標値を超えていた。
しかし、85年にオリジナルメンバーとしてただひとりとなった財津さんは若いミュージシ
ャンを入れてチューリップを実質プロデューサーとして継続していく。
85年以降のチューリップは一部にはアーティスト財津和夫さんのバックバンドと言う表
現もあった。85年からの4年間、財津さんはチューリップの実質プロデューサーとして財
津音楽の原点回帰を果たしていくことになる。
その想いは、それまでの宇宙への深いテーマやインストロメンタルアレンジによる多様
なバンドサウンド志向から、ただテーマを純粋簡潔にわかりやすく財津メロディの原点を
鮮明に強調した音楽志向に向かう4年間となる。
財津音楽の原点回帰といえるもので、これが財津メロディというメロウ(mellow)な音感
香りがよくわかる楽曲が多い。
「ストロベリースマイル」、「冬のメインストリート」、「this is my home-town」に集約され
て、「くちずけのネックレス」、「モーニングスコール」、「愛になりたい」、「抱きあって」、
「まっ赤な花と水平線」とバンドサウンドとは異質の財津メロディの香りがする楽曲だ。
85年からのチューリップで実質プロデューサー財津和夫さんが、財津音楽の原点回帰
を果たして89年に「バンドとしてすべてやることがなくなった。」とチューリップを解散
(dissolved)した。ひとり18年間のチューリップ活動だった。
財津さんは89年にソロアーティストとして本格的に音楽活動を始めて、他のミュージシ
ャンへの楽曲提供や独自の音楽感性で40年近い音楽活動の中で、日本のポップス、
ニューミュージックシーンを先駆的に支えたフロンティアでポジティヴな音楽人生を背景に
した使命力、責任力、企画力、創造力が、現在、財津音楽のプライオウリティ(priority)
性、生き方のパラダイム(paradigm)として、社会人としても財津和夫さんの高い評価とな
っている。
今、マッカートニーはビートルズに最もこだわりがあると言われながら、ビートルズを別
の個性として客観的にとらえる宿命となり、財津和夫さんはチューリップを自己の一部と
して自らプロデュースし共有している。
9 かいさん(dissolved)
(1)ポール・マッカートニーが09年にニューヨークのシティーフィールドで行ったコンサ
ートで「get back」、「back in the USSR」などビートルズナンバーをビートルズ時代と同
じアレンジで演奏していたライヴ音を聞いた。
まるでビートルズのライヴ音かと聞き間違えるほどのビートルズアレンジそのものだっ
た。
ビートルズはレノン・マッカートニーが核となって結成されたバンドであるが、その後の
世界の音楽シーンと文化、社会を席巻するビートルズ旋風の中で4人がそれぞれの個
性を発揮して存在感を示していき、レノンはスタジオワークのみになったビートルズ活動
に見切りをつけて、他のメンバーから早々にビートルズを離れていった。
レノン・マッカートニーが核となったビートルズで、その一方のレノンがビートルズを離
脱して必然的にビートルズは自然解散の道を進むことになる。
ビートルズの4人の中で最もビートルズに強いこだわりを持つと言われたマッカートニ
ーは、レノンのいないビートルズをどんな手段でも再現、継続することは想いもよらない
ことで、だから今「サウンド」としてビートルズをニューヨークシティーフィールドでのコンサ
ートでビートルズをそっくり再現してみせて、ビートルズへの特別の思いを再現してみせ
た。
(2)そのビートルズに強い影響を受けて財津和夫さんが核となって72年にチューリップ
を結成し、日本語を洋楽旋律(melody)に見事にマッチングさせたニューミュージックの先
駆者(pioneer)と言われるチューリップサウンドを創り出したコンポーザー財津和夫さん
は、85年に財津さん以外のオリジナルメンバーがすべてチューリップを離脱した後も若い
ミュージシャンをメンバーに入れて89年まで18年間チューリップ活動を継続した。
チューリップは財津和夫さんが核となってビートルズのような革新的なサウンド志向を目
指して、福岡で活動するアマチュアミュージシャンの中からこれはと思うメンバーをひとり
ひとり集めて結成された。
だから財津さんのチューリップに賭ける思いは5倍も強く格別で、財津さん以外のオリジ
ナルメンバーが去ってもビートルズの核心事情とは異なってチューリップを継続することを
選択した。
財津和夫さんは、チューリップの先駆的な実質のプロデューサーでもあった。84年まで
の間にチューリップとして鈴蘭(2回)、田園コロシアム、よみうりランド、芦ノ湖と野外イベ
ントコンサートを時代に先駆けて開催し、10年で1000回を超えるコンサートを行って、財
津さんを核としたチューリップは時代と一応の音楽活動の目標値を超えていた。
しかし、85年にオリジナルメンバーとしてただひとりとなった財津さんは若いミュージシ
ャンを入れてチューリップを実質プロデューサーとして継続していく。
85年以降のチューリップは一部にはアーティスト財津和夫さんのバックバンドと言う表
現もあった。85年からの4年間、財津さんはチューリップの実質プロデューサーとして財
津音楽の原点回帰を果たしていくことになる。
その想いは、それまでの宇宙への深いテーマやインストロメンタルアレンジによる多様
なバンドサウンド志向から、ただテーマを純粋簡潔にわかりやすく財津メロディの原点を
鮮明に強調した音楽志向に向かう4年間となる。
財津音楽の原点回帰といえるもので、これが財津メロディというメロウ(mellow)な音感
香りがよくわかる楽曲が多い。
「ストロベリースマイル」、「冬のメインストリート」、「this is my home-town」に集約され
て、「くちずけのネックレス」、「モーニングスコール」、「愛になりたい」、「抱きあって」、
「まっ赤な花と水平線」とバンドサウンドとは異質の財津メロディの香りがする楽曲だ。
85年からのチューリップで実質プロデューサー財津和夫さんが、財津音楽の原点回帰
を果たして89年に「バンドとしてすべてやることがなくなった。」とチューリップを解散
(dissolved)した。ひとり18年間のチューリップ活動だった。
財津さんは89年にソロアーティストとして本格的に音楽活動を始めて、他のミュージシ
ャンへの楽曲提供や独自の音楽感性で40年近い音楽活動の中で、日本のポップス、
ニューミュージックシーンを先駆的に支えたフロンティアでポジティヴな音楽人生を背景に
した使命力、責任力、企画力、創造力が、現在、財津音楽のプライオウリティ(priority)
性、生き方のパラダイム(paradigm)として、社会人としても財津和夫さんの高い評価とな
っている。
今、マッカートニーはビートルズに最もこだわりがあると言われながら、ビートルズを別
の個性として客観的にとらえる宿命となり、財津和夫さんはチューリップを自己の一部と
して自らプロデュースし共有している。