いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

象徴天皇と歴史天皇。 symbolistic & chronological Tenno

2011-02-25 19:47:32 | 日記
 (1)女王卑弥呼が統治していた邪馬台国が近畿内なのか北九州内なのか、史跡発掘のたび
に2説の学術的評価が分かれて、現在日本国民が日常生活をしている同じ土地に古代史の王
族が生活していたことだけは確かな情報だ。

 古代史天皇と同じ土地に生活していることを実感できるだけでも人間ロマン(roman)を感じる
ことがあるが、実像がよくわからないからロマンをさらに想像たくましくふくらませてくれることもあ
る。
 そうして見ると、現在は憲法上象徴天皇(symbolistic Tenno)となった天皇制も、数千年の歴
史の継続の流れの中で今の天皇があると思うと、その背景の重さにあらためて驚かされること
がある。

 現世とのかかわりでは、古代ロマンの重さを考えれば象徴天皇の人間天皇として「歴史」とは
切り離した、一線を画した存在としてあるべき「姿」はふさわしいのではないのかと思う。
 その一方で、古代歴史の継続としての重い「歴史天皇」制が存在する。一般人としての「個人」
と「法人格」の関係にも似て、区別して存在して解釈していいのではないのかと思う。

 (2)歴代天皇の陵墓(古墳)を指定、管理する宮内庁が初めて、考古学会の要望に応えて天皇
陵の立ち入りを認めた。
 近年になって、ようやく国史跡、古墳群の発掘、調査も進んで各地で学術的、歴史的な発掘、
発見が聞かれる。奈良では、冒頭の卑弥呼の邪馬台国畿内説の根拠とされる宮殿史跡の発掘、
国内最古(4世紀末)の人の盾持ち埴輪(はにわ)が発掘された。
 わからないこともロマンなら、数千年前を経て発見されれば、またロマンだ。

 天皇の陵墓に限らず、人の墓となれば今でもみだりに覗かれるものではない究極(ultimate)の
プライバシーではあるが、数千年の時間の流れの中で歴史化した歴史天皇としての陵墓の歴史
考古学的調査は、知識欲に裏付けられた歴史評価の形態として貴重であり重要だ。
 真実は「ひとつ」であり、それを学術的評価として形成することは専門的使命でもあり、調査は制
限なく積極的であっていい。

 (3)今後、この宮内庁からの歴史再評価の流れ、調査促進の環境整備が加速して、古代史の解
明が広がればロマンは現実に共有できるものとして、現代社会にあたらしい光と風を吹き込んでく
るものと大いに期待したい。

 同じ土地に数千年の歴史を継続して共に存在する意味を再確認できる「発見」の不思議観は、
歴史天皇制を考える上でもインパクト(impact)はある。
 象徴天皇と歴史天皇の人格化区分を明確にして、間違っても天皇制が現世の世情に左右され
ることが再びあってはならない。

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